民度について思うこと

沼津に引っ越して来てからもう20日が過ぎようとしている。まだ「やって来たばかりの新参者」という意識は抜けないのだけど、新生活を始めてみると新鮮に感じることも多くあり、そんなことの一つを今日はここに記しておく。

民度」というものはこちらに挙げた内容のようなものなのだろうけど、そこには「道徳やらマナー、人を思いやる気持ち」というような「人が自発的に発揮するもの」もあれば、行政施策やら自治体やら住まいの管理組合などの団体により「ある意味、強制的にだったり意識の外で自然ケアされてれいるもの」もある。

 

これは沼津越して来てたかだか20日の僕が今現在感じることなので、こうしたことの捉え方もこの先あっという間に変わるのかも知れないが、今思うことを記しておく。

まず、僕の住むマンションの民度は極めて低い。そもそも、共益費というものを徴収していないのだから、マンションの共用部分の清掃やら皆が心地よく過ごすためのサービスなんてものは「住んでる住人たちが自発的に行動しなければ」何も進められない。

そんな状況下での僕の住むマンションの廊下などの共用部分は極端に言うとスラムのような状況で、これは賃貸不動産物件としての価値を大きく下げていると思うほどだ。

雨宿りする鳩の羽毛やら糞やら、そうしたゴミが転がっているし、この季節に発生するカメムシの亡骸も廊下に転がったままで時間が経過しているような状況だ。

まあ、その対価として「家賃の安さ」もあり、僕はその家賃の安さという利益をしっかりと享受しているのだから、こうした環境について文句を言っていることも出来ない。

特に僕の住むフロアーの共用部分の荒れ方は酷く、数年来、誰も掃除などしていないような有様だった。これは先程記したとおり。

そんな訳で僕は引越早々に共用部分を掃除するためのデッキブラシと庭箒を購入してきた。必要があればケルヒャーのようなスチームクリーナーも買わなくてはならないのかも知れないが、これはまだ様子見の状態…。やはり余計な出費は抑えたいので!

この間の土日はある程度の時間を割いてマンション共用部分の掃除を行った。フロアー全体の廊下を掃いてデッキブラシでゴシゴシやって…。でも、このフロアーに住む民度の低い住民が「数日前よりも格段にきれいになったこと」に気が付くのがどうかも分からない。これまで、こんなに汚いところで平気で住んでいたような人種なのだから…。

 

こうした作業をしながら「これまでの僕は共用部分の掃除をすることもなく、これまでは快適な居住空間に身を置くことが出来ていた」のだと、改めて強く感じた。それは共益費として徴収される金銭からクリーニング代なども賄われていたのだろうし、それを超えるところがあったとしても、それなりの住民民度によりきれいに保たれていたのだろう。

「何度もいうよ、残さずいうよ(©飛鳥涼)」だが、共益費を徴収していない今の僕の根城はにおいて「誰かがきれいにしてくれること」など期待するのが間違いなのだ。

快適な共用部分で過ごしたい。これをやるには自らがやらねば誰もやらない。しかし、自ら動いて快適な生活空間を得ることは、ある意味当たり前のことだし、こうした行動が周囲の住民の民度上昇に繋がるといいなあ…そんなことを思いながら、この文章を書いている間にも先日掃き集めたゴミを収集してきた次第である。