夏の終わり

昨日から9月を迎えているのだが、この数日で「夏が終わるね」という意の発言と頻繁に接した。本当にそのことを考えて発せられたものもあれば、単なる時候の挨拶のような大した意味を持たないものもある。

しかし、僕自身はそうした発言に接しながら「正式な夏はとうに終わっているよ。暦の上では立秋を迎えたら秋だしな。終わるのは8月という月なだけだけどね…」と思っていた。日本人は子供の頃の「夏休みの楽しい思い出」を主たる要素として、7/20くらい〜8/31のことを「夏」と呼ぶように習慣づけられているのだろう。

さて、この夏(7〜8月)はここ数年で一番夏らしく過ごせなかったように思っている。一番の要因は自宅マンションの外壁工事である。

このために、僕のウチでは2ヶ月間も洗濯物を外に干すことも出来なければ、そもそもベランダに出ることすら出来なかった。そして、窓という窓には曇った半透明のビニールが貼られて部屋の中の日照条件も最悪になるという状況であった。

ベランダ菜園のプランターたちも立退きを迫られ、ほぼ陽の当たらない共用スペースの廊下に追いやられたので割とすぐに枯れてしまった。

プランターではない鉢植えも陽当りの良いベランダからの退去を余儀なくされ、この2ヶ月間は僕とともにエアコンを効かせた陽当りの良くないリビングで過ごしていた。

 

そんな夏(というか、マンションの工期)もようやく終わり、昨日の朝には鉢物をベランダに出した。

そして、こちらが今朝の鉢物の様子。

乏しい光を求めてやたらにヒョロヒョロと背を伸ばしたアボカドたちはベランダを吹き抜ける風への耐性すらなく、真ん中のやつはへし折れてしまう始末。葉っぱも直射日光に絶えられない様子で1日外に出しておいただけで既にヘロヘロになってしまった。

山椒はと言うと、室内に入れてからすべての葉が抜け落ち、ジョロジョロの若い芽を出して僅かな日光での光合成を図ったようだ。そんな若い芽も夏(は終わったので、厳密には秋の初め)の陽の光には耐えきれないようで、次々に枯れていきそうな有様だ。

夏の終わりとともに幾つかの植物も命の終わりを迎え、幾つかの植物は心機一転頑張ろうとしている。新しい季節が始まる。