datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

鮑の思い出

見慣れない方には「やけにグロテスクな臓物」のように見えるかもしれないが、これは鮑の肝である。昨日、静岡に足を運ぶ用事ががあったので、そのついでに昔よく通っていた魚売り場で買ってきたもの。中ぶりの鮑の肝が5つばかり入って600円くらいで買ってきたものだ。

僕が鮑の肝を食べるのは年に一度くらい。食べない年もあるから、平均するならば3年に2度くらい食べているであろうか?

昨夜は久しぶりに鮑の肝に接しながら、子供の頃のことを懐かしく思い出した。

僕の親戚には日本海沿岸の寒村で漁師をやっていた方がいて、夏になるとその親戚のうちに遊びに行き本当に小さな漁船に乗せてもらったり、鮑や栄螺といったものも振舞ってもらったりしていた。

そんな親戚が僕の実家にやって来る時には、やはり栄螺や鮑をお土産にいただいていたように思う。

ある晩のこと、我が家の食卓に見慣れないものが出てきた。もらったばかりの鮑を身の部分は刺身にでもして、肝の部分を醤油味で煮たものが出てきたのだが、当時の僕はどうしてもソレを食べたくなくうじゃうじゃと言い訳をしていたら親にえらく叱られた記憶がある。

醤油味で煮染めてあろうとも、鮑の肝というものはやはり当時の図画工作の時間に接していた「ビリジアンの絵の具」の色だったし、バッファローマンのロングホーンのように尖った形状をしたソレをどうしても食べたくなかった。

結果、親に叱られながら幾分かは食べたはずなのだがその味は記憶にない。そして、その夜に一緒に出されていたであろう鮑の身も食べた記憶がない。

「思い出」と言いながら、それらの味についての記憶はなく、嫌がったことを叱られた記憶だけしかないのだけど、なんだか懐かしく思い出された。

昨夜は鮑の肝をバター焼きにして酒のつまみにしたのだが、悪くもなく特に美味いものでもなかった。わざわざ買うほどのものでもないように思ったが、それでも僕はたまには買うのだろう。その食材の味そのものというより、それに対する思い出もあると、やはりたまには食べてみたくなる。

そんな食材は数多くないが、小さな頃の「味やその背景に関する思い出」というのは大きなものなのだと、改めて感じさせられる夜だった。