続 チャーハン

いつの頃からだろうか?
チャーハンをあまり食べなくなったのは…。


一昨日の夜、チャーハンを作って食べた。
これが久しぶりのことであるのは前述の通りだ。

大学生の頃はよく作って食べていた。
当時、好きだった「椎名誠」やその界隈の人の文章に、お手軽安価料理でいて美味いものとしてチャーハンが登場していたことも大きく影響しているはずだ。

しかし、それよりもずっと前に、小学生の頃に母親がいない日に父とチャーハンを作ってみたり、妹と二人でチャーハンを作ってみたりしていた。

僕の家庭は共稼ぎだったので、母親が割りと自由にというより、相当自由に子供たちにメシを作らせていた。このことがチャーハン(だけではなくいろいろと)な調理に興味を持ったことに影響している。

この子供時代にいろいろなものを調理して、時には相当に不味いものが出来上がってしまい、困りながらも「自分で作ってみたもの」を残すと随分と叱られるので、「身から出た錆」とばかりにそれらを食べていたことも、よく覚えている。


更に遡って思い出すと、幼稚園の頃は母親が作るチャーハンが好きだった。当時は「チャーハン」なんて呼ばずに「ヤキメシ」と呼んでいた。

挽肉と玉葱と人参の微塵切りを塩胡椒で炒めたものを、ご飯に混ぜて炒めたもの。具材の挽肉炒めは「オムレツ」や「コロッケ」の具材でもあった。

当時はこれがとても美味しくて、とにかく「ヤキメシ」は御馳走だった。


時を同じくして、当時は隣のウチに住んでいたお祖父ちゃんがたまに幼い僕にメシを作って食べさせてくれることもあった。

その代表メニューが玉子御飯。
これは、生卵と醤油と御飯を混ぜた「一般的な玉子かけ御飯」を雪平鍋でぼろぼろと炒りつけたものだ。たまに小口切りのネギが入っていることもあったが、お祖父ちゃんの作ってくれるメシが珍しいこともあり、喜んで食べていた。

ある日のこと、お祖父ちゃんの作ってくれる「玉子御飯」がチャーハンにならないものかと考えた。当時の語彙で言うならば「ヤキメシ」だけど…。

幼い僕はそこで考えた。
「玉子御飯」と「ヤキメシ」の違いを。

…当時の結論はこうだ。
ヤキメシには肉が入っている。だったら玉子御飯に肉のようなものが加えられたらヤキメシになるだろう!

その結果、僕からのリクエストでその日の玉子御飯には魚肉ソーセージが加えられた。

幼稚園児のテキトーな思いつきとしか考えられそうにない提案を具現化してくれたお祖父ちゃんの優しさには、今改めて「感謝」しかない。

お祖父ちゃんの作ってくれた「魚肉ソーセージ入り玉子御飯」を喜んで僕は食べた。しかし、「これはヤキメシではない…」という残念な気持ちも強かったことを覚えている。

食べ終えた僕は何がダメだったのかを考えた。そして当時至った理由は「ヤキメシは油で炒めていた。お祖父ちゃんの玉子御飯は油で炒めていない。油で炒めないとヤキメシにならないのだろう」だった。

もう少し大きくなって「この説」は基本的には正解であったことを実感するのだけど、今考えてみても、面白い体験だった。お祖父ちゃんや若き日の父母の姿とともに懐かしく思い出される。


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東京ガスのTVCMにおける名作中の名作!
父親の作る不味いチャーハンも、その愛情と背景を鑑みると一番の御馳走になる。