女子力とか人間力とか

久しぶりにブログを書く。
それなりに忙しく過ごしていたが、別にブログを書けない程の忙しさでもなかった。なんとはなしに書きたいことがなかったのだ。


さて、今日は「女子力」という言葉について考えたことを書く。

料理という行動が好きで、材料の買い出しや選定、調理自体、そして盛り付けやその器の選定、そして食べるときの環境に至るまで、食事にはそれなりに重きを置いている。

単に好きだからそうしているだけで、気が向かないときはコンビニの弁当とかカップ麺を食べたりもする。しかし、基本的には美味しいものを心地よいと感じる空間で楽しみたいから、やはり食事には注意を払う。…というより、味とか出来映え以上に「自分なりに精一杯向き合った食事」をしたいと言うのが正しいだろう。


そうして精一杯向き合っていると「女子力高いですね」とか言われることも多い。ただ、この場合の「女子力」という言葉は、実際の女の人の力なんて何も考慮せずに「なんとはなく使っている言葉」なのだろう。

僕は「女子だから料理が上手いだろう」なんて思わないし、「女子だから盛り付けや雰囲気作りに長けている」とも思わない。むしろ身の回りにいる女性で、こちらが感心するほど料理に力を注いでいる人なんて見たことがない。そして、女性だから料理が出来なくては…と思うこともあるけれど、心底そう思うことはない。

男でも女でも、料理を楽しめるならそれに越したことはないし、運動神経が良いに越したことはないし、美的感覚が研ぎ澄まされているに越したことはないし、お金を稼ぐ力を持っているに越したことはないし、容姿が淡麗であることに越したことはない。

要は人生を豊かにするための能力とか教養のひとつだと思う、料理というものは。


ただ、他の娯楽や趣味と違って、料理は人間の3大欲求や生活基盤に深く関わるものだから、興味がないから別にほっといていいこと…とは思えない。

人として生活を楽しむ力=人間力のひとつ。
文章でも会話でも、表現されたものをきちんと理解できるか?それに対し的確な反応を取れるか?
そんなことと同じように、料理と向き合うことが大切だと思う。