好きな服

このブログでファッションについて書くことはほとんどないのだが、ファッションに興味が無いわけではない。大アリだ。

若い頃から洋服や靴、帽子などの小物も大好きでそれなりに浪費もしてきた。

ただ、おっさんになってくると新しいものを買わなくなってきた。これは装いに疎くなる…というよりも、好きなものが定まってくること、そして気に入ったものを長く着続けたいという「大人になって身につけてくる賢さ由来」のもののように思う。本当に興味を失う人も多いのだけど…。

だから、この数年僕が着ているものはだいたい同じだ。ただし、全く同じものを着ているのではなく、同じようなデザインの服を複数持っていたりもする。

自分に似合うと思うものはそんなに変わらないだろうし、何よりも好きなものが確立されるからだ。だから、以外に早くダメになってしまう消耗品度合いの高いものはともかく、長持ちしそうなものは拘って気に入ったものを買うようになる。見えるところにファストファッションなんてとんでもない!なんて気持ちになるくらいだ。


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秋〜冬、そして春にもよく着るのがジージャンだ。
デニムジャケットと呼ぶ方が「今らしい」のだろうが、僕はジージャンと呼ぶ。

中学生の頃にジージャンが欲しくてエドウィンのケミカルウォッシュの肩幅の広いものを親に買ってもらって喜んできていた。

大学生の頃は、リーバイスのオレンジタブのものも買ったし、アメ村の古着屋でサードモデルの高いやつも買ったが、一番の好きだったのはリーの101のビンテージのやつだった。

このジージャンは本当に好きで、格好をつけたいときもそうでないときもとてもよく着用していた。

冬の寒い時にはジージャンの下にタートルネックのセーターを着ていたし、ジージャンの下に半袖Tシャツだけでよくなると春の訪れを感じたりしていた。

ある程度ラフに扱っても丈夫で、気楽に羽織れて格好がつく…そんな服の代表格が僕にとってはジージャンだったのだ。


今もジージャンを愛用している。
4年くらい前に奮発して買ったもので、格好よく色落ちするように、それなりに気を付けながら着用している。

袖のあたりに「ハチノス」と呼ばれる味のある皺が刻まれるのはまだ数年先になるかも知れない。その頃には僕の顔の皺も増えていることだろう。

ジージャンに限らず、身に付ける衣類や道具とともに単に劣化するのではなく、ちょっとした劣化であっても「年輪の味」と捉えられるような歳のとり方をしていきたい。