昨日の出来事だが、昼食にエビフライを食べた。
スーパーで買って来た出来合いの惣菜で、それほど高価なものではない。しかし、コンビニの弁当等に入っているあからさまな冷凍食品のやつでもない。
写真のような親指サイズのものが6つ入って200円ちょっとだったので、買って来たオカズとしても割合経済的ではないかと思う。僕の知るエビフライの中では中流以上、と呼んでもいいと思うようなやつだ。…と言ったところで「上等なエビフライ」をそんなに食べたこともないのだけど…。
そんなエビフライを食べながら、子供の頃の弁当にエビフライが入っているととても喜んでいた事を思い出した。そして、そのエビフライは「あからさまな冷凍食品」だった。そして、そんなエビフライであっても今でもエビフライを食べる時にはなんだか嬉しくなる。
プリプリとしたエビの歯応えやエビの甘さを伴った旨みが感じられる訳でもない。そいつはイラスト等に描かれるエビフライの形でをしているばかりで、なんだかエビの風味だけがするくらいの衣が主成分となっているようなフライである。今でもどうでもいいオードブルとかコンビニの弁当で遭遇することのあるやつだ。
そんな実態の分からないような美味しさなのに、僕は今でもエビフライをありがたがって食べている。これは完全に脳内に刷り込まれた「エビフライ=実態はともかく美味しいものである」という、なんかの洗脳みたいなものなのだろう。
「エンビフライ」。
昨日、エビフライを食べながら思い出したワード。
国語の教科書で読んだこの言葉が何という作品のものだったか分からず、ウェブで調べてみた。
「盆土産」。三浦哲郎の作品で中2のときに国語の教科書に載っていたものだ。凡そのあらすじもちゃんと覚えていたし、なんと言っても「エンビフライ」という田舎訛りのワードが印象に残っていた。
これもまた30年ぶり以上に読み返してみた。
冷凍食品のエビフライが神々しいもののように思えた。そして、家族を繋ぐ行事としてのお盆、その光景のうつくしさに涙が出そうになった。明日からお盆が始まる。