10月は…

昨夜は酒を飲まずに本を読みながら早くに眠ったので、今朝は早くに起きて活動していた。

朝から長風呂に入ってしっかりと汗をかき、自転車に乗って農協とかスーパーにも出掛けてきた。

先週はゴム草履で出掛けていたのに、今日そんな格好をしているとまず寒いし、「真冬なのに半袖Tシャツと短パン」でウロウロする巨漢白人のように見られそうな気候だった。


自転車で帰宅している途中に「10月というのは本当に寒暖差の大きい月だな」なんて考えていたら、「10月は○○の○○」というワードが頭に浮かんだ。

先月よく聴いていた竹内まりやのセプテンバーで言うところの「9月はさよならの国」みたいな感じのワードだったけど、思い出すことが出来ないうちに自宅に着いた。



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気になっていたのだがどうにも思い出せないので、帰宅してからネットで検索すると、僕の頭にわずかに残っていた言葉は「10月はたそがれの国」だったということが分かった。

レイ・ブラッドベリSF小説だけど、この本を実際に読んだことはないはずだ。写真はネットで拾ったものであり、僕の蔵書ではない。

高校生〜大学生くらいの頃に「ミステリーゾーン」みたいなモダンホラーのノベライズを読むのが好きで、その本の作品紹介にブラッドベリの作品が並んでいるのを見て、このワードが頭に入っていたのだろうと思う。


「○月は○○の国」という表現はなんだか格好良くて、そこに哀愁が漂うような気がするのだけど、文法的にははよく分からないものだ。だけど雰囲気で意味が伝わるように甘感じ取れる力を持つ言葉である。

セプテンバー(竹内まりや)に出てくる「さよならの国」という言葉に僕はあまり共感しない。9月に「さよなら」という体験をした記憶が希薄だからなのだろう。むしろ、肌寒くなってきたりする10月の方がセプテンバーの歌詞には合っているように思う。だからと言って、10月に別れの体験をしたという強い記憶もないのだけど…。

そして、「たそがれの国」と言うには10月よりも11月の方が相応しいように感じる。こうした言葉が生み出された土地と時代によって季節の捉え方は変わってくるから、こうした時差とか季節感の相違が生じるのも仕方のないことなのだろう。