粥を啜る朝

昨夜、七草粥のことを考えていると粥を食べたくなった。

普段の食欲というものは胃腸に負担をかけることそのものが食欲の大きな要素を占めているように思う。もちろん、味覚が一番要素なのだが、食べ応えでの満足感を求めて食欲があるようだ。そうした普段の食欲とは真逆の身体に負担をかけないものを欲する気持ち。そんな欲から粥を炊いた。

一合の米を炊いた粥は碗に8杯分くらいの量になっただろうか。一度に食べ切れる量ではない。これは消化にいいはずだ。

身体への負担はともかく、シンプルな味の粥を啜っているとその簡素さを受け止める感度の高さが必要であることを感じた。

口が奢った状態ではより過剰な旨味を求めてしまうように思う。そんな時にはシンプルな塩にぎり飯の美味さを感じ取ることが出来ず、更に味の濃いおかずを求めてしまうという具合に…。

米と薄い塩の味。このシンプルな味だけで僕は食べ切れず、味付けの濃いおかずとともに粥を啜り込んだのだが、これをさらりと食べられる「薄味感性」のようなものもたまには磨かねばいかんなと思う朝だった。