「草」を食べる

1月に入って一週間が過ぎようとしている。三が日のうちにスーパーにも出掛けたが、僕のウチの最寄りのスーパーでは1月の2日には早々と「春の七草セット」みたいなやつを売っていた。

「いやいや、1月の2日なんてまだ正月真っ盛りで御馳走を売るべきだろう。早すぎるだろ!」なんて思ったりもしたが、スーパーの流通儲け作戦のことは別として、御粥やら野草に近い野菜を食べたくなる気持ちはよく分かる。

一昨日、過食をした僕は昨日こそ量はそこそこにしておいたが、娘が来たときに買っておいた海老が余っていたものを天婦羅にして食べたりと随分な御馳走を食べて過ごしていた。

なんだか体内に御馳走の喜びを入れた分、それ以上に「人を堕落させる悪いもの」も摂り込んでいるようで、そんな時に「消化の良い御粥」やら「デトックス効果に溢れた七草みたいなもの」を摂り込みたくなる気持ちは僕にもあった。

去年なのかその前の年なのか覚えていないが、野草というか初春のアクの強い野菜を摂ることは古来からの知恵であり、体が欲していることなのだ!みたいなことを考え、このブログにも書いたように思う。

そんな思い出など関係なく、今日現在の僕の体は「菜っ葉」を求めていて、そんなものを食べることで年末年始の過食による身体へのダメージを多少なりとも軽減できるのではないか…なんて都合の良いことを思っていたようだ。って、そんなことを考えて菜っ葉を食べたくなったわけではなく、自然に菜っ葉を欲したことを後づけの理屈で考えているのだけど…。

春の「アクの強い菜っ葉」といえば、僕にとっては芹が代表格なのだが、僕の行動範囲では安価で新鮮な競りはなかなか入手出来ない。ならば菜の花があるではないか!そんなことを思ったりもしたのだが、冷蔵庫には暮れに末娘が来た時に常夜鍋にしようとした法蓮草が一羽残ってきたことを思い出した。

君がため春の野に…ではないが、自分のために春の七草、いやアクの強い菜っ葉を買うのも良いかと思っていたが、今夜は法蓮草をお浸しにして食べている。

そう言えば、暮れに末娘と常夜鍋を食べた時に「冬の法蓮草は美味いなあ。でも法蓮草ってキシキシするよね」という話をした。

末娘は全く同意してくれなかったのだが、僕は法蓮草を食べると相当に口がキシキシする。これはどうも法蓮草に含まれるシュウ酸かなんかの物質と唾液の成分が化学反応を起こしての現象とのこと。

唾液の成分は人の体質によって異なるので「このキシキシ具合」も人のそれぞれらしい。今日の法蓮草は茹でたものを水で色止めしてそこに含まれるであろうシュウ酸を大分抜いたつもりでいたのだけど、僕の口はやはりキシキシしている。これも旬のものを食べる旨味の一つだとでも思いたいが、どうも好きになれない。