街(の代替品)に出る

三連休の最終日、僕は俗世間との接点を持ちたくて郊外のショッピングモールに出掛けた。

沼津というところはその昔は駅前の商店街も栄えていたのだろう。立派なアーケード商店街があり、まだ全てがシャッターを閉めている訳ではないがそこで買い物をする人は僅かしかいない。何かを買うことは出来るのだけど、生活の上で本当に必要なものはこの商店街では揃えられない。

駅の近くには割高なスーパーと100円ショップ、そしてマクドナルドなどの簡単な飲食店と古い商店街、こんな商店しかないから休日の買物に人々が駅の近くにやって来ることもない。

僕のウチからは3〜4キロ離れたところにショッピングモールがある。初めて行った時にはそこの大きさに驚いた。全てのテナント商店をシャッター商店街に当てはめていくならば、アーケードのある商店街だけでは足りなくなるほどの規模だ。

ファッション、雑貨、書店、そして食堂と多くの人が求める商店が一通り揃っている。都会のデパートにあるハイブランドショップはない。あと「セレクトショップ」と呼ばれるような少しセンスの良さそうな値段の高い店もない。世間に本当に行き渡っているかは別として、日本で平均的、あるいは庶民感覚で言うと少し平均より上と思い込んでいそうな店が並んでいる。

沼津の駅前に街にはない。言うならば「ここが街に近いもの」なのだろう。多くの人で賑わう特にお洒落でもない商店をぶらつく。欲しくなるようなものは特に多くないが、世の中では何を売りつけようとしているのか?どんな雰囲気のものを人は買いそうになるのか?そうした世俗っぷりに触れるには郊外のショッピングモールまで来なくては、そんな空気感すら漂っていない。

一通りのモノは揃う。しかし、ここには「街ゆくお洒落な人」はいない。そりゃここはショッピングモールであり、街ではないのだから。

田舎と都会の生活における便利不便はネットショッピングによりなくなりつつあるように見える。しかし、それはものを買う時の便利不便の差であって、やはり都会には都会にしかない「洗練された街」というものがある。逆に田舎には「長閑で心安らぐ牧歌的な風景」がある。どちらが大切なのかは人それぞれだが、僕にはまだ両方必要なのだと思った。