フォークの背でメシを食べる。

先週末のことだが、仕事で熱海に行った。「熱海に行く」という言葉自体がなんだか楽しいところに遊びに行くことのように僕には聞こえるのだけど、特別に楽しい訳でもない。

朝から出掛けて昼には熱海での仕事を終えて沼津に戻る。その前に熱海で昼食を済ませようと思って駅前の喫茶店に入った。

平日であっても観光客で混み合っている熱海。海に近いエリアは海外資本の高級ホテルの建築ラッシュで、日本のレジャー需要というものは特に衰えていないのだと変な錯覚を起こさせる活気が熱海には漂っている。そんな町の駅前一等地の喫茶店に僕は入ることにした。

熱海まで来たのなら何も喫茶店で食べなくとも…そんなふうにも思ったのだけど、その喫茶店は昭和からなんとか生き延びている店なのだろう。店頭のショーケース、これがある事自体今では珍しいように思う。そしてそのショーケースから、かつては日本全国で食べられたような昭和洋食を提供する店だと分かったので入店してみた。

若い店主がノルタルジックとかレトロ志向とかそんなもので設置されたものではない。数十年前からここにあるであろうコースの冷蔵ケース。そんな調度品のような店内設備を眺めながら、注文した料理を待つ。

この歴史ある喫茶店は今でも家族経営なのだろう。厨房ではお父さん(推定60代後半以上)と娘、ウエイトレスがお母さん(というより婆ちゃん)というスタッフ布陣のようで時折娘とお母さんが軽く言い争う口論の声が聞こえてくる。

来客数の割にはそんなに待たせるか?と思うほどの時間の末に僕のもとに届いたのは、本当に昭和らしいカツライス。

レモンの薄切りが添えられ、斜め切りの胡瓜とレタスやキャベツ、そしてトマトというサラダとともに盛り付けられたトンカツ…いや、ここのメニューでいうとポーツカツレツ。

豚肉はメニューにも載っていた生姜焼きやポークソテーに流用するものなのだろう。トンカツ屋として暖簾を出す店のものとは異なる「薄切り肉ではないけど決して厚切りではないやつ」を油で揚げたものだった。

レモンの薄切りを絞りかけ、カツレツをフォークで切り分けようとするとガシッと硬い肉からカリカリに揚がった衣がポロリと剥がれ落ちる。実に昭和らしい製法だ。

先週、古本屋に行った時に買った「天皇の料理番」が潜在意識に残っていたのであろうか。大して美味くもないだろうと想定していた店だけど、僕はなんだかこの店に入って昭和っぽいランチらしいメニューをオーダーしたかったのだ。「カツレツ」というものを求めたいたに違いない、後づけの理屈だけど…。

皿に乗せられたライスはナイフでフォークの背に乗せて食べる。これは僕が幼い頃、父親が教えてくれた食べ方だ。「ええか、洋食を食べる時っちゅーのは御飯はこうやって食べるんで!」そんなことを言いながら父は得意げに幼い僕に「洋食の時のメシの食べ方」を実演して見せてくれたことを思い出す。

その後「これは別に正しい食べ方ではない」なんてことを色々な文献で知ったりもしたけど、僕はその食べ方はそれなりに好きで、僕の中では「昭和男が洋食メニューでライスを食べる際の正式マナー」だと決めている。他人にはそれを強いたりしないのだけど…。

こうして不思議な空間で食べたライスは味はともかく美味しいものだと思った。そのライスを食べ進めるためのポークカツレツは肉も硬く、これならば僕が揚げた方が美味いし、このメニューに1,450円の価値があるとは思えなかったが、その値段というものは「昭和スタイルを貫く家族経営の店としてはそれだけ貰わないと店が立ち行かない価格」なのだろう。

そう思って「これは決して高くはない。適正価格なのだ」と自分に言い聞かせる昼時だった。