飲み慣れんものを飲む②

昨夜の出来事。昨夜も客先での会食があり、分不相応な御馳走を食べる夜だった。ステーキを中心とした肉料理の店だ。

自分で行くことがないくらいの高級店ではないが、ステーキを食べたいならば、自分でオージービーフを買ってきて、ワサビ醤油で大口を開けて食べるのが好きだから、やはり自分ではこの店には行くこともない。

役得と言えばそうなるのだろうけど、基本的には商談をしながら「過剰に舌鼓を打つふり」をしながら食べる御馳走の味値のないこと!そんな中で市価では1本5万円をくだらないようなワインを2本も飲むのだから、ありがたいような勿体無いような…。

複雑な気持ちとともに飲み干すワインも美味しかったし、前菜もサラダもステーキもそれは美味しいとものだったが、やはり心のどこかで感じる虚しさのようなものに気付かずにはいられなかった。

会食を終えて帰宅する際に、僕は一缶のアルコール飲料を買った。

タカラのカンチューハイ。今から34年前、高校生になった僕がとてもうまい!と思って度々飲んでいたものだ。

当時は自販機で普通に酒も売っていたから、高校生が学校帰りにカンチューハイを飲むことなどなんの障害もない時代だった。

部活の帰りに当時のポン友の「としぼう」と、一応人目につかないようにササッとカンチューハイを買ってはチャリンコに乗りながらそいつをゴクゴクと飲み、飲み干した空缶を川土手の道から川に向けて投げ捨てる…ということをよくやっていた。時期にもよるが平均すると週に1〜2回はカンチューハイを飲みながら帰宅していたように思う。

当時の僕にとって、チューハイというものは「タカラのカンチューハイ」が代表格で、どこか別の自販機で「サンシャワー」というカンチューハイを見つけてそれを飲むこともあったけど、タカラのものの方がキリッとしていて「酒らしくてうまい」と感じていた。

「今夜は帰宅の新幹線でタカラのカンチューハイを飲もう!」そう決意した僕はローソン〜セブンイレブンを回ったのだけど、この両店にはタカラのカンチューハイは置かれておらず、フルーツ感満載のパッケージも鮮やかなチューハイばかりが置かれていた。

昭和カンチューハイの代表格は既に時代の徒花のようになり絶滅してしまったのか…そう思いながらファミリーマートに行くと、そこでようやく懐かしのパッケージを見付けたという次第。

こうしてカンチューハイ探索で歩き回っていると、これまた懐かしい居酒屋チェーンの看板を目にした。

僕の住んでいた田舎町にも「村さ来」があったし、今から30年くらい前はチェーン居酒屋といえばココ!というくらいに至る所に存在していたのではないだろうか。僕は生活圏の中で便利な場所にある「養老乃瀧」が好きだったが…。

そんな懐かしい気持ちになりながら、新幹線の中では「ビーノ」をつまみにカンチューハイを嗜んだ。スナック菓子で缶入りの酒を飲む…ということは長らく体験していないが、これも30年くらい前の大学生の時には「日常的なハレの日」の御馳走コースだった。

僕もそうだが、地方から大学に来て下宿している友達のうちに缶ビールやらチューハイやら、そして多量のスナック菓子を買って皆でウダウダと酒を飲む…そんなことをしていると「俺も大学生になったのだ。こうした語らいも青春なのだ…」そんな青臭い満足感とともに、宴席でいけ好かないことを言う奴にムカついたりしていたものだ。

そんな宴席において「ビーノ」というスナック菓子は人気アイテムで「これ美味しいよね!」みたいなことを隣に座った女の子と嬉しそうに喋りながら、缶入りアルコールを飲み進めていたりしていた。

「思い出というつまみ」はこれ以上ないというくらいに充分な状態で頂いたタカラのカンチューハイは予想に反して味気のないものだった。

妙な人工的なレモン風味と仄かにしか感じ取れない焼酎の味。アルコールを含んでいるのだろうけど、それすらもよく分からないような「ほんのりと酸味のある炭酸のユルいレモンスカッシュ」とでも言うのだろうか…。とにかく、久しぶりに対面したそいつは僕の期待を大いに裏切る味だった。

人は変わる。当たり前だけど。そして、その人の味覚も変わる。過去の喜びに固執していては成長などないのだけど、なんだか寂しくも思う。