新居の初来客

一昨日の金曜日から今日まで、我家にお客が来ていた。中学生の末娘と40歳くらいの舎弟の二人だ。新居の客がやって来るのは初めてのことで、彼らを第一号客として僕は手厚く饗した。

金曜日の夕方、仕事が終わった頃に彼らは沼津にやって来た。その前夜から僕は各種、料理を支度しており、彼らがウチにやって来たらすぐに食事を摂れるようにしておいた。

金曜日夜の献立は、白飯、豚汁、茄子の煮浸し、昆布の佃煮、豚の味噌漬け、そして客人二人が持ってきてくれた糠漬など。献立を見ると実に普通の日本の食卓のように思うのだが、僕には凄い御馳走のように思える。

これはここ数年思うことなのだけど、上記のような献立が御馳走じゃないとするならば何を御馳走と呼ぶのか?勿論、自宅で食べる御馳走として分かりやすいものとしては「寿司、すきやき、刺身」なんかが挙げられるのだろう。

しかし、寿司なんて言っても「酢飯に薄切りの魚の肉片が乗っただけのもの」をスーパーで買ってきた出来合いのものを本当に御馳走と呼べるのなのだろうか?

そんなものより、一汁三菜…いや一汁一菜であっても、旬の食材をしっかりと調理したおかずの方がどう考えても御馳走だ。これは「考えて分かること」でもなく、「食卓について食べれば分かること」であろう。「考えるより感じろ(食べろ)!」なのだろう。

 

昨夜は娘のリクエストに応えて鶏の唐揚げを作った。胸肉は魚を扱うように低温で柔らかく火を通して、もも肉は拳骨のようにしっかりと巻き込んで、砂肝はクミンやコリアンダーなどのカレーっぽいスパイスを効かせて。3種の唐揚げを揚げるごとに二人の客に食べさせていくので、僕はもも肉の唐揚げを食べていなかった。

それでも彼らが嬉しそうな顔をしてものを食べているのを見ると、それ以上に美味いものを僕が食べているかのような気持ちになる。

沼津に越してきて3週間、僕は快適な新居で一人でメシを食べていた。なんだかバタバタとした日が続いているので、しっかりと腰を据えて料理をしたのも今回が初めてだったようにも思う。まずは気のおけない仲間と一緒に食べること、そして仮に粗末なものだとしてもちゃんと作られたメシを食べること。美味しいものというのはこうあるべきなのだと強く感じた。

 

こちらは彼ら二人が帰宅した今夜の夕食。昨夜、揚げきれなかった唐揚げを作って一人で食べる食卓。勿論、唐揚げは美味い。味噌汁も何もかも美味い。しかし、食卓の楽しさは昨日、一昨日とは比較にならない。