今更、発見したこと

毎年思うことだが、今年もあっという間に3月になった。

年が明けてからの2ヶ月は基本的には仕事に追われていた。長時間仕事をしているわけでもないのだが、ずっと仕事のことが気になって、スッキリと心置きなくリラックスする時間などほとんど無かった。

それでも精神の安寧のために楽しい音楽を聴いたり酒を飲んだり、楽器を触ったり料理をしたりするし、そしてそれらはそれなりに楽しい時間なのだけど、常に仕事の鎖に縛り付けられているようなストレスを感じる。そんな居心地の悪さのことを考えていたら、もう3月になっていた。

昨夜は本当に軽くだけ酒を飲んで割と早い時間に眠った。酒というものは気持ちをリラックスさせ、愉快な気持ちにさせてくれることが多いのでストレス解消には役立つのだけど、いつもいつも飲み過ぎるので身体には疲労を残す。今朝はそんな酒の疲労感とは縁のない朝を迎えて朝から散歩に出掛けた。

3月を迎えた朝の空気は気温はそんなに高くもなかったが、やはり春の空気感が漂っていて今年度もいよいよ一年が経つことを感じされるようなものだった。

近くの河川敷の道を歩き、何か春らしいものを目にするのではないかと何ということもなく何かを捜してみたが、特に春らしいものは見つけられなかった。

そんな散歩で僕が発見したのは「ハイテクスニーカーの機能性の凄さ」だった。

この数年、たまにではあるがイベントなどで立ち仕事をすると足の疲れを感じることが多くなった。厳密に言うと、頻度がそんなに増えたわけではないのだが、とにかく足が疲れるのだ。足の疲れの「程度が爆発的に大きくなった」とでも言うのだろう。

そもそも、僕は若い頃からそんなにスニーカーを好んで履いていなかった。前述の「足の疲れ」から少し前に写真のスニーカーを買ったのだが、このスニーカーが世の中を席巻した1995年の僕はブーツを履いていることが多かったし、夏になるとゴム草履やら雪駄を履いていたり、スニーカーを履くにしてもおそらくクッション性の無さではぶっちぎってナンバーワンのコンバースのペラい奴を履いていた。

人気のあるスニーカーを持っていないのだからスニーカー狩りにも無縁だったし、そもそも僕はハイテクスニーカーに全く興味を持っていなかった。

今から30年くらい前に発売されたものを「ハイテク」などと称するのもおかしな話なのだが、靴の快適さについては本当に前時代的なスタイルを貫いてきた僕にとってエアマックスという靴は信じられんくらいに柔らかな履き心地だった。

その昔、ラルフローレン氏がニューバランスについて「雲のうえを歩いている気持ち…」と感想を言ったそうであるが、まさにそんな感じ。ニューバランスはその中でもハイテクモデルと呼ばれる1500を持っているが、そいつのクッション性とも比較にならない「雲のうえ感」だった。

スニーカー鎖国をしていたところにいきなり近代兵器が投入されたような気持ちになって、スタスタと朝の散歩を楽しんだのであるが、そんな近代兵器すら30年前のシロモノ…。僕は30年間もその履き心地を知ることもなく原始人のような生活を送っていたのだ。

ただ、靴というものは快適性だけで履くものでもない。エアマックスは快適だが、図体がデカく快適なサイズを履こうと思うと数サイズ大きいものを買うことになる。このため見てくれはスマートではない。機能性とスタイリッシュさ、これらを両立させるものが欲しいような気もするが、そんなことを考えていると無駄遣いの無限ループをハマるので、そのへんはあまり考えないようにする。