植物の生命力

昨年の9月の下旬に沼津に越して来てから、僕はほぼ全くというくらいのこのブログに家庭菜園のことを記していない。

そりゃ、特にプランター菜園やら園芸品のことについて取り組んでいないのだから、そうなるのも当たり前のことだ。

引っ越してきたウチはその広さも倍近くになった。これは住環境を選ぶ点では相当なプラスだと僕は捉えている。人が快適に過ごすにはまずはなんと言ってもそれなりの広さは必要だと思うのだ。

そのほかの環境で言うと「市のゴミ収集サービスの劣悪ぶり」とか「駅周辺の買物事情の困難さ」とか「マンション住民の民度の低さ」など、言い出したらきりがないくらいに不満はあるが、部屋自体はその家賃も含めてとても良いところなので、僕は住環境の点では総合的には大いに満足している。

ただ、前に住んでいたところは本当に日当たりも風通しも良く、気持ちのイイ広大なベランダがあったので「ベランダ菜園環境」は信じられないくらいに素晴らしかった。そんなところと比較すると今の住まいはやはりベランダ菜園を楽しむには物足りない。

そんな訳で、前の住処から多量に持ってきたプランターの数々も特に世話をすることもなく狭くなった新居のベランダに積み上げられていた。

そんなネグレクトされまくったプランターではあるのだが、冬になる頃にはそこから健気に幾つかの植物が芽を出しているのを見付けていた。

上の方に積まれ、日照条件とかベランダに降り込んでくる雨水がまさに恵みの雨になったのであろう。生命力の強いカタバミイタリアンパセリ、そして割と弱いと思われていた紫蘇が芽吹いていた。

これを見付けて喜びはしたものの、特に求められて生えてきた訳でもないそいつらには、たまに気が向くと風呂の残り水を与えてみる…程度の「やはり変わらぬネグレクトぶり」で接していた。

にも関わらず、芽吹いて成長を始めたそいつらは、僕の無干渉ぶりなど全く関係ないように立派に育っている。

そろそろベランダ菜園を再開させよう…。過去の環境(と言っても、それは育て側の僕の環境に過ぎない…)とは本当に関係なしに、旧居から持ち越してきたベランダ菜園のキャストたちは元気に育とうとしているではないか!

昨年の春に息子と娘の下宿を探して、そこの契約やら引越をしてから一年が経とうとしている。彼らが過ごしている下宿にはもっと狭いけど一応のベランダもある。

「狭くても何かを植えたりしなさいよ!」そんなことを僕は父としての上から目線で彼らに指示だけはした。

…であるが、僕自身は彼らと比べると恵まれたベランダ菜園環境にあるにも関わらず、この半年、全く菜園作りに無関心でいたことを今更ながら恥ずかしく思う。

そんなことを考えて、今朝は数日前に食べた鰯の塩焼の骨などの残飯を荒地のようになり始めたプランターの土に埋めてみた。

本当にスケールの小さな話であるが、僕なりの百性生活を楽しむべく、家庭菜園にも多少の力を注ぎたいと思う。