続 スネークマンショーについて

先日、このブログにスネークマンショーというギャグ作品に、少年の日からの僕がどう接してきたのかについて記した。

「ギャグ作品」と称したものの、やはりそれは音楽との融合によって成り立つものであり、楽曲とギャグ、そしてそれらを取り巻く時代背景が相まって素晴らしいものになったのだと、改めて強く感じる。やはり「ギャグ作品」という呼び名は間違いであり「ロックンロールショー」というのがこの作品の正しいジャンルなのだと思う。

そんなスネークマンショーであるが、2月の頭くらいからであったろうか?主たるキャストの二人、伊武雅刀小林克也スネークマンショーをとあるテレビ番組で再開してみる…というような情報を知った。

ネット記事によると「老齢の二人が死ぬまでに再び面白いものを作りたい」とのことだったし、幾つかのネット記事では「スネークマンショー再演」みたいなことも書かれていた。

これは!と思った僕はその番組を録画したのだが、録画したものを見るのも待ち遠しく、僕にしては夜更かしをしてその番組のオンエアを見た。

結果から言うとガックリするものだった。

基本的には「かつて面白いものを作った二人が今になってまた面白いものを作ってみよう」と挑戦する…という番組宣伝のアウトラインに間違いはなかったのだが、やはり往年のスネークマンショーには遠く及ばないばかりか、スネークマンショーの名を出すのもおこがましいほどに陳腐なものであるように僕は感じた。

この取り組みはNHKの企画なのである。民放のラジオ、それもこのところ話題となっている「不適切にもほどがある」の設定時代を更に遡る「自由過ぎて自由という意識すらない頃」のスネークマンショーNHKで再編できる訳などないのだ。

当時のスタッフや演者ですら躊躇しかねないようなアウトラインぎりぎりを攻めた構成、そしてその構成の骨子ともなったロックンロール、下品でやり過ぎのギャグに散りばめられた社会的なメッセージ。

そうしたものを今の世の中で作り、そして今のセンスで面白いと感じられるようなものを作るには、当時の構成センスでは無理だろう。そこにはやはり桑原茂一のセンスがあってこそ成り立つものだったのだ、スネークマンショーは…。そんなことを再認識させられる番組だった。

20年前に出版された書籍でも「時代の生き証人である桑原・小林・伊武の3氏にインタビューを試みたが皆から断られた」とあった。得体の知れないユニットが得体を知られずに社会を騒然とさせるようなものをヌルッと発表する。

キャストの一人である小林氏は「あれは関西のどこに某というMCがやっているようだよ…」というガセネタを聞いてほくそ笑んでいたそうだ。

名作というものは黙ってそいつに接し「いいものもある、そして悪いものもある」と結果についての良し悪しだけ語るべきなのだろうね。