しばらく前に書いたブログの続きを書く。
末娘が僕にくれたお土産のラーメンが幾らのものであろうとも、そしてその品が美味かろうが不味かろうが、世の中の評価がどうであろうとも僕にとってはとても嬉しい品である。
僕の記憶が確かならば「こむらさきのラーメン」は繊細な九州細麺豚骨ラーメンだったかと思う。
この文章を書いていて思い出したのだけど、もう25年くらい昔のことだが、当時の僕は九州に住む女性から「その町でとても美味いとされるラーメン」を贈答されたことを思い出した。大分中津の名店だったと思うが、店の名前は思い出せない。
折角貰ったラーメンも日々の腹を満たす食物の一つのように、さっと麺を茹でて特に具材を足すこともなく「素ラーメン」として、ぞんざいに食べてしまったように記憶しているが、勿体ないことをした。
そんなことを考えたりしながら、昨夜遂に娘から貰ったラーメンを食べた。昨夜は22時過ぎまで仕事をしていて、帰宅をすると22時半頃。夕食に何やかや作るのも大義だったのでラーメンを食べることにした。
「素ラーメン」という食べた方は、商品として売られているそのものが美味しいかどうか?という商品のステゴロ戦闘力を確認するには正しいし面白い食べ方だと思う。
しかし、僕はラーメンの商品力評論家ではなく特に昨夜は「娘からのプレゼントをどれだけ美味しく食べるか」に拘りまくった50歳の父親…だったので、ラーメンを美味しく食べるための具材もちゃんと用意した。
これらの具材は昨夜用意したものでない。「近いうちに娘のラーメンを気合を入れて食べよう」と思った数日前に既に調理していたものだ。
焼豚(煮豚?)を仕込み、乾燥木耳をお湯で戻して味付けして、焼豚の煮汁に茹で卵を漬ける。どれも大して手間のかかる作業ではないが時間はかかるので、事前にこれをしていなかったら昨夜ラーメンを食べることもなかっただろう。
昨夜は麺を茹でて、スープの素をお湯で溶かして、葱を刻んで、赤梅酢に漬け込んでいる紅生姜と一緒にみなを器に盛り付けただけだから、これも調理というようなレベルのものではなく、インスタントラーメンを食べるのと変わらない作業だった。
しかし、色々と気持ちを込めたラーメンは予想通りに美味いものだった。ラーメン博物館のお土産で売られているものだから、それは工業製品だし「うまかっちゃん」などのインスタントラーメンと変わりはない。しかし、特別な味がするような気がした。
まあ、「うまかっちゃん」であってもそれが娘からのお土産でちゃんと手をかけた具材を乗せて食べたら「メチャ美味い!」と僕は大喜びするのだろうけど…。