datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

ようやくカレーライスを食べる

この間の土日に「カレーを作ろう」と思い立った。

そして昨日のブログに「月曜日にカレーを作ったこと」を書いたのだが、そのカレーは月曜日に食べられることもなく、持ち越し案件となっていた。

スパイスを炒めて汁気のあるものと言えば、トマトの缶詰めとか飲み残しのウイスキーを足したくらいだったから、カレーというよりもカレーのベースとなるペーストを作ったような塩梅だった。

梅雨を迎えるあたりから途端に食物がすぐに傷むようになる。月曜日の夜に作ったカレーペーストもタッパーに移し、それに入り切らない鍋に残ったものは鍋ごと冷蔵庫に入れて会社に出掛けた。

そして昨夜帰宅して、鍋に残っていたペーストに牛乳を加えてのばし(スパイスが効きすぎていたので、多少まろやかに仕上げたかったのだ…)、ようやくご飯にかけたり匙で掬って食べるようなカレーとなった。タッパーのカレーペーストはまだ沢山残っているのだが…。

しかし、昨夜も冷蔵庫に残していた枝豆を湯掻いて酒を飲んだりしていたら、案の定、飯は欲しくなくなった。こうなるのもだいたい分かっていたことだし、折角作ったカレーを食べないのも惜しいような気がしたが、「折角」という言葉を用いるのなら、「折角、夜に炭水化物を食べずに眠る習慣が身についてきたのに…」という僕個人の事情もあった。

そんな訳で昨夜も申し送りとなったカレーを今朝になって、ようやく食べた。

鍋…というかフライパンに残っていたカレーは丁度一人前くらいだったので、そこに麦シャリを加えて炒めるような具合で温める。熱くなった「混ぜカレーライス」を皿に移して、生玉子と辣韮を加えて食べる。

この「混ぜカレーライス」のことを僕は自由軒スタイルと呼んでいるが、こうして食べるのも美味い。カレーのタイプが欧風であろうが、東南アジア風であろうが、給食に代表される日本のクラシック風であろうが、よく混ぜられて熱くなったカレーライスは美味いものだ。

そしてここに生玉子を落として、まろやかになったカレーにウスターソースをかける。ウスターソースがシャープさをもたらして美味い。…って、自分で書いていながら「お前はまろやかにしたいのか?シャープにしたいのか?」と思うので、この文章を読んでる方も「ハァ?」と思うかも知れない。

白味噌仕立てのまろやかな豚汁に七味唐辛子を加えると美味い…という感じ。…って、これも自分で書いておいて充分な説得力がないようにも思うが、これを汲み取れないなら是非、お試しいただきたい。

そう言えば「カレーライスに生玉子を落としてウスターソースをかけて食べる」という食べ方は僕は子供の頃から好きな食べ方で我が家では割と当たり前の食べ方だったのだが、いつかどこかで「それ、昭和のおっさんの食べ方じゃん?」と言われたことがある。

まあ、僕の人格やら味覚が形成されたのは中学3年生の正月くらいまで続いた昭和の期間のことなのだから「昭和のおっさんスタイル」を好むのも、ある意味当たり前のことなのだろう。

出勤前に朝からカレーライス(自由軒風の昭和おっさん仕様)に舌鼓を打ったのだが、残念だったのは付け添えの辣韮…。

4月の終わりに漬けた「今年の新物」だったのだが、これの熟成が今ひとつだった。一月くらい前に味見をした時に大きな瓶からあげて、小さな瓶で冷蔵保存していたものだった。

冷蔵庫の冷たさで熟成速度にも随分なブレーキがかかっていたようだ。乳酸発酵によって生じる酸味の先にある「奥深い旨味」はまだ足りなかった。

しかし、朝から「自分のためにちゃんと支度したメシ」を食べ、そいつの味わいが満足のいくものであると一日が楽しくなるような気がする。今日の僕は普段よりもテンション高く一日を過ごしたように思う。我ながら単純な奴だ…とも思うけど、悪いことではない。