秋の匂い

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近所の金木犀の花が満開だ。
甘い香りを振りまき、秋が深まってきたことを感じる。日曜日の午後、金木犀の香りを楽しみたくて、近所の公園に立ち寄った。


小さな頃は散った金木犀の花をフィルムケースに集めて、部屋の中でも金木犀の匂いがすることを喜んだりしていた。金木犀は本当に小さな頃から身近に感じている秋の匂いだ。



2週間前に金木犀の香りを嗅ぎたくなって、これまた近所の山(と言っても軽いハイキングコースみたいな裏山だけど)に登ってみた。その時はまだ金木犀は蕾の状態で、甘い香りなど漂わせる段階ではなかった。

しかし、山を降りて麓の神社を歩いていると金木犀の香りがする。あたりを見渡しても金木犀の花は見当たらない。金木犀を強く求める気持ちが「幻臭」でももたらしたのか?山も神社も何らかの神秘的な力を持っていることだし…。と幾分かオカルトめいたことを考えたりしていたのだが、匂いの元は銀木犀であった。

白く小さな花。
白い金木犀が存在し、それが銀木犀と呼ばれるものであることを、この時まで知らなかった。



帰宅してから、夕方に自宅のベランダで洗濯物を取り込んでいた。すると、近隣で夕餉の支度をする美味しそうな匂いがした。

「いずこもおなじ 秋の夕暮れ」ではないが、なんとなく寂しくなりそうな秋の日暮れに漂うごはんの匂いは、なんだかとても懐かしく感じるものだった。

子供の頃に外で遊び、お腹を空かせてうちに帰るときに、よその家の換気扇から匂ってくる美味しそうな匂い。後期ではあるがバリバリに昭和だったその時は、何か醤油味の煮しめでも作っているように感じる事が多かった。

中学生の頃に友達の家に遊びに行き、日曜日の夕方に帰宅する際、煮魚のような醤油ベースの美味しそうな匂いがしたことを覚えている。側にいた友達の妹(小学校低学年の子)が、そうした匂いを思いっきり吸い込んで「あぁ、凄く美味しそうな匂い。お腹が空いたなあ。」と嬉しそうに喋っていた表情がとても可愛らしかったことも思い出した。その時の季節も秋だった。


日曜日の夕方に各家庭の台所の換気扇から表に出てくる美味しそうな匂い。各家庭の炊事なんて、四季を問わずに行われているものなのだけど、秋の夕暮れに漂うごはんの匂いは一瞬にして僕を子供の頃の思い出の世界に連れて行くような気すらする。


住んでいるところが子供の頃と比べると幾分か都会になったからなのか?あたりの住宅がマンションばかりになったからなのか?なぜだか家庭からのごはんの匂いを嗅ぐこともぐっと少なくなったようにも思う。

これを寂しく感じるのも「秋の夕暮れ」だからなのかもしれない。