地元の味

先日、夕食にピザを食べた。

ピザという食品を食べると美味しいと思うし、美味しいピザを食べたいと思うこともあるのだけど、実際にピザを食べることは年に一回あるかないかだし、本当にピザを食べたいと思うことも年に一回あるかないか…とかなので、僕は実際には特にピザを好きではないのだろう…と思ったりもする。

しかし、接触頻度で言えば、そこらの出来合惣菜のメンチカツなんて月に2回くらいのペースで食べていて、それはそれで美味しいとは思うのだけど、好きかどうか尋ねられたら「特に好きではない。手軽だから食べている。」と答えるのだろう。

食物の好みと実際の接触頻度が関係ないことは、その価格によるところではよく分かっていたが、価格が障害にならなくても「なんだか説明が面倒な部分」での接触頻度との無関係さがあるのだと分かった。

 

さて、数日前に食べたピザの話に戻すと、これは自宅から数分離れたところにあるピザハウスのものだ。

昭和スタイルのピザであり、決してピッツァと発音する雰囲気のものではないし、当たり前だけどミラノ風でもナポリ風でもない。肥大したアメリカ人が喜んでバクバクやっていそうなペパロニを多量に乗せたパンのようなアメリカ風のものでもない。

生地の厚さはあるもののサクッとしていて、具材にはそこはかとなく昭和感が滲み溢れる「ピザパイ」と呼ぶことが相応しいと僕は思っている。

このピザパイを食べさせる店は良く言えばアンティークな雰囲気に溢れているのだけど、まず狭いし変にゴチャゴチャしているし、そして何よりも店員が異様に無愛想なのだ。

別に店員サービスに期待するわけでもなく、美味しいピザを食べに行くのだから、店員の無愛想さなとどうでも良いのだけど、愛想の良さを感じ取れないどころか不快な気持ちにさせるくらいの徹底した無愛想さなのだ。これはある意味凄い。

なので、僕は近所に住んでいる利便性をフルに発揮して、ぶあいそ店員のいる店内では食べずに持ち帰るようにしている。この持ち帰りの注文電話においても「はあ…持ち帰りは時間かかりますよ…。(止めておいた方がいいよ…というオーラを出しながら)」みたいな返答で、店が混んでいようが混んでいなかろうが出来上がりは一時間後!という徹底した無愛想対応なのである。

それでもこの店は混んでいることが多いし、本当の意味での「ピザの味」で売っている店なのだろう。

そんな名店の味を娘に教えておきたくて、この日はピザを一緒に食べたのだ。田舎町の小さな飲食点なんて、その店自体がいつまで持つのかも分からない。しかし、自分の育った町に存在する「味わい深いもの」はある程度、知っておいてから旅立って欲しいと思っている。