葱の花が咲く

去年の今頃だったのだろうと思うが、葱の種をプランターに植えた。

その種は一袋150円とか198円ではなかったかと記憶しているが、葱の種を蒔くことなんて初めてだったので、とりあえずバサッと一袋分をプランターに蒔いておいた。

小さな芽が沢山生えてくると、その一部を間引く意味を含めて芽葱として長女と食べ、ベランダで芽葱が収穫できることを彼女がとても喜んでいたのを覚えている。そして、浅葱として薬味にちょうどいい塩梅になるとアブラムシがやってきて、そいつの駆除に奔走したものだ。

夏が来る頃にはプランター葱もある程度安定してきて、その後は折に触れて僕の食卓に吸口としてやら何かの薬味としてやら、いろいろと重宝している。

そんな葱が花を咲かせた。

プランターに何本も生える葱の先端にネギ坊主が出来始めているのに気が付いたのは、長女の引越から帰って来た頃のことだったと思う。そこからちょうど3週間。全てではないがいくつかのネギ坊主が小さな花を咲かせるに至った。

葱に限らず、プランターで育てた植物が花を咲かせるのは嬉しくもあり、なんだか寂しくもある。

葱にしたって、バジルやパセリにしたって、生き物が持つ本能とか使命感のようなものにより子孫を残すことに必死なのだ。次世代の葱に代代わりするにはこれは避けられないことなのだけど、大抵のプランター作物は花を咲かせて種を残すとそいつは枯れてしまうのだから、やはり寂しい。

僕の食卓を彩るためにそこに存在するものなのだけど、彼等の望む子孫繁栄は手助けしてやりたいとも思う。その一方で「まだいいじゃん。俺にその葉っぱを食べさせてくれよ」という、実にセコい家計を考える家事担当者としてのエゴも捨てきれずにいる。否、この世代の葱との別れが寂しいという気持ちも作用しているのだろう。

朝の出勤前の時間に葱の花やらネギ坊主を見ながら、なんとも不思議な気持ちに浸っていた。

プランターは使いまわしているから費用としてはノーカウント…。しかし、種には安価であろうとお金は掛かっている…。あと、アブラムシの駆除に牛乳とか農薬も買ったからこれにも出費があった…。

でも、収穫するようになってからはほぼ肥料も与えなかったのに、僕は何度、葱を摘んだのだろう?一回あたり30円分の葱を食べたとしても(僕は葱を一度に沢山食べるので、この30円は敢えて安く見積もっている)、30回くらいはベランダ葱を食べたのだろう。だからだいたい1,000円分以上の利益を葱から受けたことになる…。

そんな銭金の計算をしながら、それぞれのシーン、それぞれの時期の出来事を思い返すと、葱との一年は楽しいことばかりだったという記憶が残された。この「楽しかった記憶」には値段がつけられない。もしかしたら3万円分くらいの楽しさだったのかも知れないし、僅か500円分くらいの楽しさだったのかも知れない。

プランター葱には僕の存在が必要だった。僕が水をやったり、アブラムシを退治しなくては彼等の成長も子孫繁栄もなかったのだから。

その一方で、僕の生活の潤いにもこの葱の存在が必要だった。あらためて考えることもなかったのだが、僕と葱の間にはなにかのきずなのようなものもあったのかも知れない。

これは親子の関係のようなもので、僕は子供たちの成長にかかる費用にピーピーしている。それは僕の財布を痛めつけ、なにかの悩みの種にもなるのだが、彼等の成長に携わることでの喜びに値段などつけられようはずもない。

そんなに気持ちで、我が家のプランター葱にもしっかりと親としての役割を全うして、心残りのないように良い種を残して貰いたい…と考えるようにしよう。