家庭菜園のこと

このところ、このブログに家庭菜園のことばかり書いているのだけど、僕の「オープンに出来る楽しみ」の多くが家庭菜園のことなのだから、この偏りも仕方ないと思っていただきたい。

ここ最近の食卓には家庭菜園の収穫物がよく上っている。とんでもないほどに収穫量のある紫蘇はもちろんのこと、「芽葱とかクレソンをスーパーで買ってこなくても週に一度くらいは思いっきり食べられる」なんて、本当に素晴らしい。

クレソンなんて、買ってくると別に安い野菜ではない。めちゃめちゃに高価な訳でもないけど、やはりロハで食べられるというのは嬉しいものだ。


さて、そんな菜園の古参メンバーがイタリアンパセリである。イタリアンパセリのことばかり気に懸けている50近い男なんてほとんどいないのだろう。しかし、僕はその希少種なので今日もイタリアンパセリのことを記しておく。


我が家のイタリアンパセリは昨年の秋に種を蒔いたものだ。冬から春にかけて、その柔らかな葉が僕の食卓で重宝されたことは既に書いた。

そして、そんなにパセリもこの夏に天寿を全うするべく、やたらに花を咲かせたがっていることも数日前にこちらに書いたとおりだ。


そんなパセリが更なる知恵を使って花を咲かせることに必死になっている。

これは僕の好きな「火の鳥」のワンシーンだ。
特に望郷篇の物悲しさは初めて読んだ中学生の頃から好きで、数々のシーンが強く印象に残っているのだが、パセリを見ているとこのシーンを思い出した。

僕のウチのパセリは長く食用として栽培したいという僕のエゴから、花を咲かせるために茎が伸びてきたら、次々へと花を摘み取っては食べていた。

パセリも「茎を伸ばして花を咲かせると、そいつを摘み取られてしまい子孫を残せない」ということを体感したのだろう。

ここ最近のパセリは茎を伸ばすことなく、葉っぱの茂った奥底にこっそりと花を咲かせるようになった。

最近、パセリが花を咲かせないな…なんで思っていたら、全くそんなことはなく目立たない場所で小さな花を咲かそうとしていたのだった。

子孫を残したい気持ちで必死なのだろう。
そんないじらしい行為が「火の鳥 望郷篇のノルヴァ(キャラクターの名前)」を思い出させたのだが、僕はドライな食欲人間だ。

葉っぱの奥底に咲こうとしている蕾を摘み取っては食べることに忙しい毎日を送っている。