ブラックジャック展の感想

11月頭の連休は東京に住むガキどもの下宿を根城にして楽しい時を過ごしていた。今日はその中でも特に印象深かったブラックジャック展について記す。

長男と共に、六本木の高層ビルで開催されていた展覧会に足を運んだのだが、入場料はたしか2,500円(長男は学生料金で1,500円)。

この料金がそれだけの価値があるものだったのかどうかは人それぞれなのだけど、僕にとっては「この入場料の費用対効果はだいたい内容に見合うものだった」ように思う。

とにかく多量に展示されている原稿原画、漫画の原画というものの持つ迫力に触れることが出来たことは素晴らしい体験だった。

これは絵画やら彫刻の展覧会でも同じことが言えるのだろうし、それが演奏会と呼ばれるものでもギグであってもライブであっても、生の音楽に触れるという行為は、やはりそれなりの迫力を持って作品の力を感じ取れるものなのだろうと改めて感じた。

 

…ならば、なんであっても「生の迫力に触れられれば」良いか?というとそんな訳はない。やはり、本質的に迫力を持つものに触れるには「その背景というのか、受け止め側の事前準備」もあってこそ、その本質を感じ取れるものだ。

夥しい量の原画の数々と丁寧であり簡潔な作品紹介。手塚プロダクションが用意したであろう展覧内容は僕にとっては2,500円ちょうどくらいの価値のあるものだった。ゴチャゴチャの沢山の観覧者がいなかったならば、その価値はもっと上昇したのかも知れない。とにかく人が多かったことにはウンザリしたが、その要因が僕のような田舎者がその場にいることなのだから、これには文句も言えない。

漫画雑誌に連載された作品というものは、やはり漫画雑誌のサイズで描かれている。これを消費者としてちゃんと受け止めるには最低でもその漫画雑誌のサイズで読むべきだ。

ブラックジャックという名作に僕が出会ったのは今から40年くらい前の小学生の時だった。それは週刊チャンピオンで読んだ訳ではなく、当時360円のコミックス単行本だ。

基本的には僕はチャンピオンコミックスでブラックジャックと接している。その後、漫画が文庫本化されるようになってからは文庫でも読むようになった。

ただ、「文庫本サイズで漫画を読む」ということは簡易的に話の筋やら概略を知るだけの行為であり、作家先生が持てる画力を駆使して誰かに伝えようとしたことを受け止めきれていない軽薄な行為なのだろうとも思う。