お土産とかプレゼントとか

人からものを貰うこともたまにはある。

先月も誕生日の際に以前の部署の部下たちから沢山の駄菓子が送られてきた。これは「送られてきた」ものなのだけど、「贈られてきた」という方が正しいのだろうか?

食べきらないほどの麸菓子とかスナック菓子とか、はたまたレトルトカレーとか…。本当に食べきらない程の量なので、というか、まだほとんど食べないままに我が家に置いてあるのだけどこれも賞味期限を迎える前に食べないといかん!と思っている。

 

こうした贈答品は品の良し悪しなど本当に関係なく、とにかくその気持ちが嬉しいものなのだ。逆説的にと言うか、皮肉交じりで言うと「もらった瞬間の喜び」がほぼ全てなのでそれらを食べることへの喜びはそんなにも無い。申し訳ないことだが、やはり上等な品ならば「消費する喜び」も伴うのかも知れない…。

さて、品の良し悪しに加味して「これは嬉しい!」というようなプレゼントを貰わなくなってから久しい。そりゃそうだ。僕も本当にいい品を人にプレゼントすることなど、久しく経験していない。

「情けは人の為ならず」ではないが、大した施しもしていないくせに大したものを貰おうなんて虫の良すぎる話だとは理解しているから、そこには期待もしていない。

…とプレゼントについて思うことを述べたが、最近、品の良し悪しとは関係なく別格に嬉しいものを貰うことがあった。

これは先日、我が家に遊びに来た末娘からの贈呈品であるが、これは「中学の卒業旅行的に横浜に日帰りで出掛けた彼女からのお土産」である。

初めて横浜に遊びに行ってきた彼女はラーメン博物館に行ったそうで、そこで一番人気っぽいラーメンをお土産として買ってきてくれたようだ。

「熊本、こむらさきのラーメン」。こむらさきのラーメン自体は昔、新宿で食べたことがあるように記憶しているが、それも定かではない。ただ、僕がこのラーメンの名前とか存在を知っているということはきっと過去に遭遇したことがあるはずだと思う。

まあ、娘からお土産として貰ったラーメンについてはそいつをどこかで食べたことがあるか?とか、本質的にそのラーメンが美味いかどうか?など僕には全くと言っていい程、関係ない。

 

親バカである恥を忍んで言うと「娘が僕のために選んでくれたものならば何でも嬉しい」のだ!それが美味かろうが不味かろうが、僕にとってはどうでもいい話なのだ。

「親バカであることのカミングアウト」ついでに言うならば、僕は滅多に子供たちからプレゼントやらお土産を貰わないものだからその希少性故に、やたらにそうした品を大切にしている。

もう10年近く前に貰ったバレンタインデーのお菓子とか、その後ではあるが何年も前に貰ったディズニーランドのお土産のジーニーのパンツとかアラジンの化粧水も勿体無くて使えるわけもなく、それらは大切に保管されているのだ。

大切にし過ぎていて、それらを保管していることすら忘れてしまうレベルに達していて、冷蔵庫の大掃除とか引越のタイミングで大層にラッピングして保管されているそうした品を見つけて自分で驚くような状態なのである。

…と、そんな状況を末娘に伝えたところ「このラーメンはすぐに食べてよ!そして、ラーメンの感想はちゃんとラインとかで教えてね!」とのことだった。

普段、何かしらの買ってきたモノとか貰い物の菓子やら、あるいは自作の食品を娘に与える毎に僕が子供たちに伝えている「人からモノを貰った時には、感想とその感謝の念を必ず伝えること」。これが全く同じような言葉で僕に返ってきたのであった。