伊東のマンボウ

今日の夕食には伊東やら天城やら、昨日出掛けた先で買ってきた良質な食材があるので色々と食べたかったのだが、昨夜のマンボウの残りがあるので、まずはそいつを食べることにした。

昨夜は既報の通り刺身で食べたのだけど、これはもう食べたくなかった。と言うことで、残っていたマンボウはバター焼にして食べることにした。

刺身用の切身をバター焼にするということは僕にとってはとても贅沢な調理方法で、魚の良し悪しやら高価か安価ということを問わずに美味しいものだと思っている。

「バターが旨いのだから、それはバターの美味しさじゃんか!」というようなことは僕の交友関係の随所で出てくる言葉であるが(これは対象がバターだったり山葵醤油だったりマヨネーズだったりするのだけど…)、基本的にはその通りであり、やはりバターが美味しいからそれで焼いたものなどどうやっても美味いものなのだ。

昨夜、堪能するまで食べたマンボウの残りは思っていたよりも大振りで、そいつをバターを溶かしたフライパンに入れてソテーする。大きな身にはなかなか火が入らない様子で途中フライパンから取り出して一口サイズに切り分けて再び熱を入れた。

美味しく熱が通るまで…なんて炒めていたらまわりのバターは焦げてきて、およそ「魚のバター焼き」というには火が入りすぎたようになってしまったが、そいつを口に運ぶ。

噛みしめると歯を押し返してくるような弾力。刺身で食べたときには「とにかく水々しい…」というのが最高の賛辞で、特に旨味のようなものを感じなかったのだが、バター焼きにすると水分が幾分か飛ぶせいもあり多少の魚っぽい旨さを感じ取ることが出来た。しかし、そんな仄かな旨味よりも食感の独特さが印象に残る食物だった。

マンボウを口に入れ噛み砕いている時になにか他で食べたことのあるような気がして考えていたのだけど、それは烏賊?いや焼肉のミノ?そんな感じの魚らしくない弾力のあるものだった。

…とマンボウの食感やら味わいを考えながら箸を置くと、皿にはマンボウの身から沢山の水分が流れ出ている事に気がついた。

写真では分かりづらいかも知れないが、結構な水分が流れ出てきていて、その水分が残ったマンボウの身に絡んだバターの風味なども全て流し落としてくれるような有様…。バターの香りやら塩味もビシャビシャにして折角のバター焼きをよく分からん蒸し料理みたいにするほどの水が出ていたことに驚いた。

ならば!と言うことで、皿のマンボウを再びフライパンに戻して残っていたバター汁でソテーを続ける。皿に出ていた水を流しに捨てたのだが、本当にビシャッ!という量の水分で「スーパーの売場の説明のとおり、水分の多い魚なのだ!」ということは身を持って知ることが出来た。

さて、水分を抜くように更に熱を入れたマンボウは水が抜けた分、旨味も凝縮されていたが、歯応えはミノとか烏賊からは遠くなり「なんだか不思議な弾力のある魚」になっていた。

これまで接したことのない食材に触れる…という点では面白い経験だったが、やはり僕はこの先、どれだけ新鮮で安価なマンボウが売られていても買うことはないかと思う。