出世魚

正月を迎えてから既に2週間が過ぎた。2週間なんて言うと「ちょっとの間のこと」のようにも感じられるが、一年間52週のうちの4%を既に過ごしたことになる。

この正月はダラダラ生活だったので、特に正月らしいものも例年と比べると食べずに過ごした。まあ、なにも正月にこだわる必要もないのだけど、例年、年始の御馳走の一つとして僕は鰤を食べるのだけど、今年はまだ、いや、この冬はまだちゃんと鰤を食べていなかった。

鰤という魚は出世魚の代表格のように扱われるけれど、僕はこの魚が出世する魚であろうとも卯建のあがらぬままに一生を終える魚だとしても、そんなことは関係なく冬の味覚を代表するほど旨い魚だと思ってるので、冬になると食べる。正月でめだたいからとか、出世するからだとか、そんな理由は関係ない。冬の寒さも本格的になる頃にこの魚が旨くなるから食べるだけだ。

そんなことを深く考えたりもしなかったのだが、先週金曜日の夜にスーパーに立ち寄ったら美味そうな鰤の切り身が売られていたのでそいつを買ってきて、塩をまぶして冷蔵庫で寝かせていたのだ。

僕も子供の頃には鰤の料理方法として一番美味しいものは照り焼きだと思っていた。子供が好きそうな「白いごはん」が進む人気料理だと思っていたら、今時の子供は鰤が食卓にのぼるからと言っても特に喜んだりもしないようだ。

スーパーに沢山並ぶ鰤は多くのものが養殖のものだし、そんな「魚の良し悪し」など関係なく、調味料でしっかりと味をつけられて柔らかく食べられるハンバーグやら唐揚げ、魚を食べるにしても脂でじゅくじゅくの輸入サーモンが喜ばれる…なんていうのも子供の気持ちになると分からぬでもない。

しかし、今年50の齢を迎えるおっさん、ともすると爺さんの域にさしかかる僕は鰤の塩焼きが好きだ。これはこの20年くらいだろうか、僕は30歳を超えたことから「圧倒的な塩焼派」に属している。

金曜日の夜に塩をしたものなので水分は抜けて、旨味の凝縮された鰤を炙り、冷蔵庫で多少古くなっていた大根の尻尾をおろして、白菜漬の古漬けと一緒に食べる。

養殖鰤だともっと滴るような脂が出てくるのだろう。あれはあれであれを持て囃す人の気持ちも分かるのだけど、やはりしっかりと塩で締めた鰤の旨味は格別なものだと思う。多少足りないジューシーさは辛味の強い大根おろしで補う。

美味いものを食べながら、これを批判するのも何だかなあ…なんて思いながらも、自分が支度したメシのことこそ冷静に評するべきだと思うのでこちらにも記すが、まず大根が古かった。昨年末に買ってきて冷蔵庫で寝かせていたものなのだからそりゃそうだろう。

そして、その水分の少なさを補うつもりで絞った柚子もジューシーではなかった。これは実家から送られてきたもので「今年の夏は雨が降らんかったけえ、柚子の果汁が本当に無いんよ」と母親からの言い訳付きで送られてきたものだ。

そして、真打ちの鰤についても旨さを引き出すために振りかけた塩…というよりも巻き付けたキッチンペーパーが過剰だったのかもしれない。思った以上に引き締まっていた。

自分を楽しませる一番の料理人は自分自身…と何年も前から決めているので、ちゃんと反省するところは真摯にならねばならん。

ついでに反省すると「出世など関係ない」というスタンスを貫く僕ではあるが、鰤を食べることにおいてはやはり「出世しきらずに脂がのりまくったやつ」ではなく、「名物社長レベル、もはやこの上はないのではないか?というレベルにまで出世して脂の乗った鰤」じゃないと塩焼きでは食べたくない。結局、僕も出世(したもの)志向なのだと鰤を食べながら考えた。