蟲との共生

先日、我が家の山椒の苗にアゲハ蝶の幼虫が現れた。その様子はこちらのブログにも記したとおりである。

https://datetaira.hatenablog.com/entry/2022/09/06/070933

何本かの茎に付いているはずの葉っぱが食い荒らされていることに気が付いて、付近の葉っぱを見てみたら、すぐ傍の葉の上にまだ色の黒いアゲハ蝶の幼虫がのびのびと寛いでいる様子だった。

僕に山椒の苗木をくれた「山椒後輩」とのやり取りがこちらである。

山椒の成長を阻害するアゲハ蝶の幼虫をすぐに駆除しようと割箸でつまみ上げたのだけど、コガネムシの幼虫とは違いこの時ばかりは「一寸の虫にも五分の魂」みたいな言葉が浮かんできて、ベランダから外にぶん投げることを躊躇ってしまった。

そんな訳で、今の僕のベランダ菜園には数々の栽培物とともに一匹のアゲハ蝶が幼虫がいる。

色が黒く、まだ一齢幼虫だ。

こいつが大きくなるにはまだまだ時間がかかるのだけど、その成長を見守ろうと思っている。

続 インスタントラーメンの思い出

少し前にもこのブログにインスタントラーメンのことを書いたのだけど、今日もまた書く。

https://datetaira.hatenablog.com/entry/2022/08/31/212400

現在の僕が袋に入ったインスタントラーメンを食べる時には、大体5袋がセットになっていて350円くらいで売られているものを食べることが多い。

先日の「うまかっちゃん」は5袋で498円だったから平素食べるものと比べると割高なのだが、これはその味が好きで買っているので仕方のないことだと思っている。


そう言えば、酒を飲んで遊んでばかりいた大学生の頃は、夜っぴいて酒を飲んだ後で「ミックスメーラン」と称すものをよく食べていた時期もあった。

安い居酒屋とか友人や後輩の下宿で酒を飲みまくった後で腹が減ってきて、お金もないものだから数袋の種類の違うインスタントラーメンを買ってきて、そいつらを一緒くたにして煮込んで食べるのだ。


酒飲みの男子大学生が酔いに任せて作る料理なので、当たり前のように葱とかモヤシがハイルーフ訳もなく、ストレートに袋のインスタントラーメンを楽しむ「心と財布に優しいけど、身体にはなにも優しくないジャンクなやつ」だった。

何度もやっていたので、終いには「5袋でやるならこのラーメンとこいつら」とか「8袋なら醤油味のこいつと味噌味のこいつ、そしてコクを出すためにトンコツは2袋」なんてふうに、インスタントラーメンの配合も上手くなってイた記憶がある。

ミックスメーランをやる時は大抵割と大勢で飲んでいるけど、皆で牛丼屋に行くにも金のないやつもいるし、そもそも「腹いっぱい〆になにか食べたい」というだけのバカ学生の集団飲みだったので、インスタントラーメンという安価な食材が本当に「その場に適した食物」だったのだろうと思い出される。

避難シェルターのように転がり込んだ誰かの下宿。そこにある最大の鍋に湯を沸かして次々と入れていく袋麺。グラグラと煮立って麺がほぐれたら手分けして粉末のスープを加えて、皆で啜りこむ。

終いには麺はヤワヤワに伸びるし、鍋の大きさによってはお湯の量が圧倒的に足りず、めちゃめちゃにしょっぱいものになることもあった。

そんなミックスメーランはもう25年くらいやっていない。思い出したらまた食べてみたいとも強く思うのだけど…。


さて、現在の僕とインスタントラーメンの接し方を言うと、地方に旅に出てお土産とか確実に旅に不必要になる荷物を途中で宅配便で自宅に送ったりする。

あくまでそうした配送物のオマケなのだけど、僕はその地方でしか見ることのないインスタントラーメンを買って宅配便でお土産として自宅に送ることが多い。


これはこの夏、実家近くのスーパーで見付けたインスタントラーメン。僕の住む町では見たこともなかったので、お土産として買っていたものだ。

これらを食べた娘たちからは一様に好評だったのだけど、先日「うまかっちゃん」を購入するためにドンキに行ったところ、この2種類が棚に並べられていた。

僕はまだ食べていなかったが、娘たちに好評だったものが「お土産じゃなくても買うことが出来る」のは嬉しいことだ。しかし、少し寂しくもある。

山椒の苗

職場に仲の良い後輩がいる。

僕より一回り近く年下の彼女は新入社員のころから近しい部署にいて、もう10年以上の付き合いなのだが、初夏の頃に彼女から山椒の苗をもらった。

僕の漬けた青柴漬けをあげたところ彼女の家族(御両親)にも好評で、そのお礼として山椒の苗を貰ったのだ。ここの一家からは何かあげると(って、僕からの贈呈品はいつも漬物なのだけど)、気の利いたものお返しとしていただく。

卑しい話だが、そのお礼が嬉しくて「更に美味い漬物を漬けて贈呈しよう!」というモチベーションにもなっている。そうしたモチベーションの根源の一つが山椒の苗木なのだった。

…と言うことで以下、彼女のことを「山椒後輩」と記す。山椒後輩のうちは開業医で裕福だ。お金持ちであることは間違いないのだが、山椒後輩は実に庶民的でもある。

いつだか、僕のうちで酒を飲もうということになった時、おっさんである僕でも食傷気味になるほどの「コンビニのおっさん向けツマミ」をどっさりと持ってきたことがあった。

自分で言うのも何だが、気の利いた自作の酒肴を支度しておいた僕はコンビニツマミにほとんど手を出さなかったのだが、山椒後輩は各種酒肴を差別することなく豪快に食べ豪快に飲んだ。山椒後輩はそんなおっさんらしさを持つ人物なのでもある。


さて、そんな後輩のくれた山椒の苗木は貰ってから数週間してから大きな鉢へと植え替えた。6月の出来事だったと思う。そして、7月8月と山椒の苗は少しずつではあるが、着実に大きくなっている。



先週の土曜日のことだが、山椒に水をやるときに久しぶりにじっくりと眺めてみたらちょっとした異変に気が付いた。

山椒の葉っぱは一本の茎の両側に小さな葉っぱが15組くらい対になって生えるのだが、そのうちの一本の葉っぱがむしり取られたようになくなっていたのだった。

7月に別の後輩(舎弟のようなやつの方)が遊びに来た際に、山椒を見せびらかして、少しだけ葉っぱも食べたので、その時にむしったところがそのままになっているのだろうと思った。


さて、そしてこれは昨日の朝の様子だ。
明らかに葉っぱの多くが忽然と姿を消していた。

2日ぶりに見たらあからさまに葉っぱが減っているではないか!

「これは、なにかヤバいことが起きているようだな……」
ゴゴゴゴゴゴ……
「やれやれだぜ……」

↑僕の脳内にはこんな光景が広がっていた。

そこで山椒の鉢に接近して、細かに葉っぱを見ていくと!

堂々とこいつがいた。

烏賊が鬼門。

昨夜は長女と一緒に夕食を食べた。

近くで買ってきた一玉18円の茹で中華麺を使って皿うどんを作ったのだけど、やはり皿うどんを太麺でやるにはちゃんぽんの麺じゃないとあまり美味しくもないな…という発見があった。

食べる機会はそんなにないが、僕は皿うどんというものを食べる時は太麺を食べる。おそらく世間一般ではパリパリに揚げた細い麺を餡掛けと一緒に食べる方が広まっているように思う。しかし、僕はちゃんぽんの太麺の皿うどんが好きだ。これは本当に個人の好みでしかないのだけど……。


さて、昨夜の皿うどん…と言うより、餡掛け焼そばには安く売られていた烏賊を入れた。烏賊の出汁が美味しいこともあるが、肉を好まない長女向けに作るので、烏賊という食材はほぼマストのように思っている。僕も好きなのだが。

調理過程を長女に見せながら、チャチャッと焼きそばを作って二人で食べ始めて間もなく、長女がむせ始めた。勢いよく食らいついて、充分に咀嚼しなかった烏賊が喉に詰まっていたのだ。

彼女が烏賊を喉につまらせるのは僕が見ている時で3度目のことだった。こんなに烏賊を喉に詰まらせる人のというのもそうそういないと思う。


僕の記憶にある初回は僕と長女がふたりでドライブに出掛けた時だったと思う。その日は長女が風邪かなにかで学校を休んだのだろうと思うけど、その日は僕も休暇をとっていた。

長女が意外に元気だったからなのだろうけど、僕たち二人は風光明媚なバショにドライブに出かけで、ドライブ途中で買っておいた烏賊の磯辺揚げを二人で食べたのだけど時だった。

そして、二度目の記憶は新幹線の中でのことだった。多分ディズニーランドに行って新婚線に乗ったときに昼御飯に買った弁当の烏賊の天麩羅を喉に詰まらせていたと思う。この模様は末娘が夏休みの絵日記にも「姉が烏賊を喉に詰まらせて死にそうになっていました」みたいに書き留めていたと思う。

さて、そんな思い出話は置いておこう。

苦しそうにする娘を大急ぎで洗面所に向かわせて、喉に手を入れされて急いで烏賊を除去するようにさせた。ゲホゲホ、ウエウエしばらくやっていたのだが、異様に長い間、苦しそうにしている。

聞き取りにくい滑舌で彼女が訴えかける事を聞くと、どうやら烏賊を除去しようと大口を開け過ぎたものだから、なんと顎が外れてしまっていた。

涙目で何を行っているやら分からない苦境を説明する彼女を助けるべく、僕は大急ぎでスマホで「顎がはずれた時の対処法」を調べた。

その情報によると……って、僕の説明よりも、説明もそのものの画像を載せておこう。

こちらに記載されているとおり、普段はそんなことのない出っ張った関節を優しく下の方に押し込んでいく……すると、あっという間に長女の顎はもとに戻った。

人生で3度(それもまだ18歳なのに!)烏賊を喉に詰める女なんていうのもめずらしいと思うが、その挙げ句に顎が外れるなんて凄いことだと思う。芸人ならば「ネタになるとても美味しい経験」なのではあるまいか?


そう言えば、焼きそばを食べる前に彼女は「テレビでファミレスに行って食べていた芸人の顎が外れて、その様子がとても可笑しかった」とよろこんで僕には報告していた。

無事に顎を戻した彼女は「顎の外れた芸人のことをわらってたからバチが当たったのではないか……」と反省していた。

そうした心掛けも大切だが「まず、烏賊を食べる時はよく噛むこと」これを彼女の信条にさせなくてはならん。

インスタントラーメンの思い出

ついこの間のこと。
出勤前の朝食に「うまかっちゃん」を食べた。

ベランダ菜園のプランターでは分葱が元気よく伸びているので、毎日のように葱を食べることが出来る。そして、この夏は新生姜を刻んで梅酢にも漬け込んでおいたので紅生姜も大口を開けて食べることが出来る。


僕は極力、化学調味料に頼らない生活を送りたいと思っているが、インスタントラーメンはとても美味しくて便利な食物だと思っている。言ってることがめちゃめちゃなのだけど…。


外の店で食べるラーメンは美味しいものが多いが、300円とか500円で食べられる訳でもないので、安い食物ではない。

体に悪いものの代表格のように扱われるインスタントラーメンだが、この美味しさを覚えてしまった僕にはこいつを完全否定することも出来ないのだ。


さて、僕の子供の頃の思い出だが、幼稚園の頃のある朝、朝御飯にインスタントラーメンが出てきた。仕事に忙しかった母親が朝の忙しさを少しでも軽減させるために本当にテキトーに用意した朝食だったのだと思われるが、そのインスタントラーメンを僕は大喜びで食べた記憶がある。

そのインスタントラーメンこそが、当時発売されたばかりの「うまかっちゃん」だったはずだ。

そもそも、醤油ラーメンも味噌ラーメンも、更にいうと油揚麺と生麺の違いも分かっていない幼児だったが、きっと始めて食べたはずの「白い色をしたスープの豚骨ラーメン」の美味しさは覚えている。

停電の夜に思うこと

先週のことだが、帰宅して酒を飲んでいたら突然停電になった。

「酒を飲んでいたら」というのは、僕にとってはの夕食のことであり、「メシを食べていたら」と置き換えても問題ない。時にメシ=ごはんを食べることもあるが、基本的には酒が主食で主菜とか副菜を食べているということが多い。

さて、そんな僕の食生活のことはどうでもい。今日は停電について記したい。


仕事から帰宅して程々に酒を進めていた時だった。その夜は雨が降っていて時折、雷の音も聞こえてきていた。夜21時を迎える頃に、突然部屋の電気が消えた。

最初はブレーカーが落ちたのかとも思ったが、なにも電力を食うようなものは使っていない。すぐに部屋の外を見てみるとあたり一面が暗くなっていたので停電だと気づいたのだった。

この数年、瞬発的な豪雨のニュースも多く、各地で停電しているというようなこともよく聞くので、僕も度々停電に遭っているような気でいたが、よく考えると停電の記憶など、もう何年もない。自宅が停電するなんて10年以上体験していなかったのではないか?

そんな停電とは縁のない生活を送っていたのだから、停電時のいざという時の備えなど何もなかった。…と言ったところで、スマホがあればとくに照明道具も必要ではなくなるし、暗さよりも何よりも、まだ暑い夏な夜の出来事だ。エアコンが止まって室温が上がって行くことが一番嫌だった。

スマホのライトもあるのでそんなに暗くもない部屋を探してみると、誕生日ケーキ用の細いローソクを見つけた。

誰の誕生日でもないけど、そいつに灯を点してそれまでと変わらないように酒を飲み始めた。電気がなければ音楽もかからない。前述の通りエアコンも付かないし明かりも充分ではない。

結果、20分後には電気が復旧していつもの夜が戻って来たのだけど、電気がないなら別に暗いところで酒を飲めばいいだけだ。音楽が聞きたいなら、口笛でも吹けばいいさ。暑さだけはどうにもならないので観念するしかない…。

そんな「なすがまま」のようなことを考えていたのだけど、翌日にはローソクを買ってしまった。

今年の夏

立秋はとうに過ぎているので、もうとっくに秋なのだが、8月が終わるまでは夏が終わらないような気がする。

これは子供の頃に習慣付けられた「8月の末までは夏休み」という感覚が抜けないからなのだろう。あるいは「暑さを感じるうちは夏」というような気持ちでいるからなのかも知れない。

そんな8月もいよいよ終わってしまうのだけど、この夏はよく遊んだと思う。息子とも18切符旅行を楽しんだし、旅から戻って来てからはラッパの練習とかジャズに没頭していた。特に上手くもなっていないのだけど…。


8月最後となるこの土日は街角でやっていたジャズフェスを見に出掛けていた。

シロウトの演奏だけど、今の僕が街角で演奏する彼らのように演奏出来るかというと全くそんなレベルになく、いろいろなバンドの演奏は刺激になった。

ただ、バンドとかラッパの練習というものはあっという間に時間が過ぎてしまう。楽しいからなのだろうが、ラッパにかまけていては他のことが疎かになる事もよく分かった夏だった。

ラッパを上手く演奏しようと思うならば、結構な時間をかけて練習する必要があるのだ。

これが良いことなのか悪いことなのか、今の僕にはよく分からない。地に足をつけて取り組まないといけないことも沢山ある。しかし、ラッパのためにある程度の時間も割かなければ「趣味としてラッパを楽しめる」ようにはならない。