旅立つ準備

毎日のように青虫たちの様子を観察している。

帰宅して虫籠を開けると、毎回のように想像以上に葉っぱが減っていて驚くし、青虫たちが大きくなっていることにも驚く。

昨日の朝のことだが、虫籠を開けてみると一番大きな青虫(厳密に言うと我が家の青虫はまだこいつ一匹だ。他のやつはまだ小さく「色の黒い虫=黒虫」なのである。)の姿が見えなかった。

決して敏捷なやつでもないから逃げ出すこともないだろうけど???……と思っていたら、なんと蓋の裏側にへばりついていた。

写真は蓋の裏側を表にしたものなので、青虫は実際には逆さまになり、懸垂のような要領で天井に張り付いているのである。その尻尾(?)や頭の方にはうっすらと糸が見え、そいつで天井となる虫籠の蓋に体を固定していたのだった。

まだ黒虫だったこいつが、我が家の山椒にいたのを発見してから一週間だ。この一週間で大量の葉っぱ食べて僕を驚かせた青虫だが、今度はあっという間に蛹になる準備を始めることで僕を驚かせている。

はらぺこあおむしちゃん

ここ数日、このブログには「我が家のアゲハ蝶の幼虫のこと」を書くことが多いのだが、今日はそこから派生した話について書いてみよう。我が家の幼虫の話ではない。

食欲旺盛の青虫は今日も元気に柑橘類の葉っぱを貪り食っているのだけど、そんな幼虫を虫籠に入れて育てていることを長女に伝えて、幼虫を見せびらかした。

長女はその幼虫の大きさに驚き、そして、気持ち悪がった。まあ、女子高生の反応としては「ごく一般的な反応」なのだろう。

僕は「こいつがどれだけ沢山の葉っぱを食べるのか?まさに『はらぺこあおむし』なのだけど、そう言えば、エリック・カールの絵本も昔はよく読んだなあ…」なんてことを娘と喋っていた。

すると娘から「はらぺこあおむし」に関する思い出として以下のような話を聞いた。

娘がまだ中学生で近所の塾に通っていた時のことだ。その塾には、いつもではないのだろうけど、僕が買い与えた「はらぺこあおむし」のTシャツを着て行くこともあったそうだ。

それから数年の時が流れ、娘が高校生になった時、別の中学校から同じ塾に来ていた子と娘は友達になった。

それまでは塾での顔見知りに過ぎなかったけれど新たに友達なった子は、高校で我が家の娘と友達になったことを、当時の塾に一緒にいた中学校が同じだった旧友に伝えたそうだ。

「ああ、あの『はらぺこあおむしちゃん』と同じ高校で友達になったの?」級友たちの反応はそんな感じだったそうで、娘は自分がよその中学生の子からは「はらぺこあおむしちゃん」と呼ばれていた事を知った。

「アイツら人のことを『あおむし』呼ばわりしやがって!ヌッ殺す!」娘はそんなことを言っていた。

僕は「はらぺこあおむしのTシャツ」を娘に与えたことをすっかり忘れてしまっていたのだけど、娘から聞いた話ではどうやら写真のようなものだったようだ。

「そんなデカデカとあおむしがデザインされたものじゃないのに!アイツら!」と『はらぺこあおむしちゃん』と呼ばれていたことを思い出した娘は憤っていたのだが、中学生なんてそんなものだ。

僕も中学生の頃は、従順で身体のデカい級友を「ゴーレム」と呼んでいたこともあるし、息子も中学生の頃には行きつけの理髪店にいるロン毛のおっさんを「桃白白」と呼んでいた。

更に言えば、僕の中学時代からはもう30年以上経つのだけど、中年の僕は近所のドラッグストアの店員を「ハゲオ」と呼んだりコンビニ店員を「デクノボー」と呼んだりしている。

渾名なんて、そんな身体的とか格好の特徴を揶揄して勝手につけるものだし、本人がそれを知ったら気を悪くするようなものばかりだ。

ハゲオとかデクノボーなんていうネーミング(というか単なる悪口!)と比べると「はらぺこあおむしちゃん」なんてカワイイ部類の渾名なのだから、娘には「名付けたそいつらをヌッ殺す」ことなどなく、大容に見てやって欲しいと思っている。

昨夜は中秋の名月

このブログにも「季節について」を書くことが多いのだけど、今日も季節行事について思うことを記しておく。

ニュース番組のお天気コーナーでは、ことあるごとに「二十四節気」とか「やたらに細かな季節ネタ」をやるのだけど、それは必然性があってのことだろうと僕は捉えている。

日本に伝わるそうした季節の風習を視聴者の興味はどうであれ伝承していくのが彼らの仕事の一つであるからだ。

 

毎年のことなのだけど、部屋の飾り手ぬぐいも夏が終わる頃には「ススキと満月のもの」に替えている。雅やかなことに欠ける僕の生活において、飾り手ぬぐいを掛け替えることは、季節の変化を受け止めるには大切なことなのだ。

 

さて、昨夜は中秋の名月で、SNSなんかを見ているとやたらに月の写真をアップしている人を見かけた。

月を見て季節を感じ日々の生活に彩りを添えるのは大いに結構なことだ。

 

昨夜は僕の住む地方でも、それはそれは見事な満月が上がっていた。夕方に見た月は赤く大きかった。空気も夏のものとは違って乾いていて、気持ちのいい秋の夜だった。

宵の口から秋風を受けながら月見酒でも楽しみたかったのだけど、昨日は夕方から楽団の練習に行っていたので、月が高く上がり多少小さく見えるようになってから酒を飲んだ。

バンドの練習に出掛けて帰宅してからはYou Tubeという便利な「CDとか持っていなくても唯で音楽を聴ける」楽しいことに溢れた現代だ。

わざわざ月を見なくともその他に見るべきものはあるだろうし、悠長に月を見ている時間などあるのだろうか?と思ったりもする。

 

季節の行事の多くは「結局はそれをきっかけにして何か儲けてやろう」という浅ましい考えてを持つ企業の働きかけて維持されているようにも思う。

SNSには満月の写真とともに「目玉焼きを挟んだハンバーガーを食べたよ。この時期ならでは!」なんていうバカな消費者による投稿も多く見受けられた。

玉子を目玉焼きにしただけのファストフードに「季節による旬」などない。細かな点ではフレーバーを変えてあるのだろうけど、目玉焼きと化学調味料を加えて数倍の値段にした工業製品のような食物を嬉しそうに食べる奴らは「消費文化の家畜」なのだろう。

厳しい夏の暑さを乗り越えてこれから収穫の秋を迎える。その前に一息つくことの出来る百姓の楽しみの一つだと「中秋の名月」を捉えたい。

 

そんな百姓生活への憧れを思い描いていたのだけど、1000年の昔も有閑階級の貴族は月を見て詩を詠んだりして楽しんでいたことに気付いた。

きっと貴族の中には月がなんてどうでもいいけどイイ詩を読んで女を口説きたい…とか邪まな月の楽しみ方をしていたやからもいたのだろう。

楽しみ方は自由なのだな…。

夏が逝く

このタイトルで過去にもこのブログに記事を書いたこともあるような気がするのだけど、今年も夏が去っていく。

ブログというものは一応、ウェブ上で全世界に発信されているものなので、害もなく毒にもくすりにもならないようなことを書き連ねているのだが、そうすると僕の日々の生活で「青虫のこと」とか「食べた食事のこと」とか、そして「季節の移り変わりに思うこと」なんかを書くことになるのだ。

 

僕がこのブログに何度も、そして毎年のように書いているはずの「夏の終わり」については「立秋を迎える8月の下旬」に一度体験する。これは暦に従うことを重んじてみると仕方のないことだ。

そして、その次に夏の終わりを感じるのは「お盆や夏季休暇で集まった親戚とか友人が去っていく時」。これは大勢の人が集まって楽しい夏のひと時を過ごして、そんな夏が終わる寂しさを感じる時のことだ。

そして、その次に夏の終わりを感じるのは「8月が終わって9月になる時」だ。これは少し前のこのブログにも書いたと思うのだが、子供の頃の夏休みが終わる感覚が身体に刻まれてのことだろう。

そして今日僕はその次の「夏の終わり」を感じていた。

 

この夏、息子とのふたり旅で使用した「青春18切符」がまだ余っていたのだけど、そいつを使わなくてならん!とは一月も前から心のどこかでは意識していた。

しかし、まだ2回分も残したままで「18切符使用期限最終日」となる今日を迎えたのだった。

そんな訳で、僕は今朝から最後の18切符を消費するために殿舎に乗っていた。

世の中には「乗り鉄」という人たちもいて、電車に乗っていること自体を楽しむ人もいるが、僕はその境地に達していない。

たっぷりと時間があってそいつをゆっくりと贅沢に消費したい「夏季休暇中の僕」とは違うのだ、今日は。

出来ることなら素早く移動して楽しい場所に行ってみたいのだけど、其れを許してくれないのが18切符旅である。

はらぺこあおむし

我が家の山椒を本籍地とする青虫のことを、この間から度々記している。

日に日に大きくなる青虫のほかに小さな奴らも数匹いることに気が付いたのだが、とにかく青虫の食欲には驚かされる。まさに「はらぺこあおむし」なのだ。

山椒を少しばかり噛じってみて、それで健やかに育つならば僕も大目に見るのだが、噛るどころか一匹で苗一本を食べきってしまおう…と言わんばかりの食べっぷりなのである。

こんな大食漢どもに狙われたら、僕のうちの小さな山椒なんてひとたまりもないので、やはり青虫どもには退去してもらうことにした。

以前からウチの近所にスダチの木が植えられているのを知っていたので、そこの葉っぱを幾分か拝借して、数年間使っていなかった虫籠に入れて彼らの新居は完成した。

……と、新たに採ってきたばかりのスダチの葉を見ると、先住民が沢山いることに気が付いた。

山椒を本籍とするやつとスダチを本籍とするやつ。予想を上回る第家族っぷりだし、こいつから全て青虫になったら毎日どれだけの葉っぱが必要になるのだろうか?

まあ、それはどこかに分散して蜜柑の葉やら柚子の葉を集めてくればいいだろう。

死して迷惑なバカ

 

バカな犯罪者が処刑されたことはとても面白い出来事だった。現在、歴史の教科書で「桜田門外の変」を扱うときに、水戸藩を犯罪者たちのテロ集団とは教えないし、それが頭のおかしい一個人の思い込み行為のようにも教えられない。

井伊大老の政治を憂う大衆の気持ちの代弁者として誰かがバカのやる政治にブレーキをかけただけだ。

数々の犯罪をごまかして、ラッキーなことに事の真相を有耶無耶にしてまま絶命できたバカの葬式に多くの人金をかける政府。

この愚行が引き金となってバカどもが選挙によって一掃されるといいのだが、投票権を持つ人間もそれ以上にバカだから、この国の政治はなかなか変わらないのだろう。

幼虫の成長

我が家の山椒にアゲハ蝶の幼虫が出没したことは既報の通り。

そんな幼虫の様子を毎朝パトロールしているのだが、今朝そいつの姿を見て驚いた。

一晩のうちに、すっかりと緑色の紛うことなき「あおむし」になっていた。根城にしていた中段の山椒の葉っぱをすっかり食べ尽くして!

 

 

名実ともに「はらぺこあおむし」と称されるようなやつがが我が家にやって来たのだ。

絵本におけるはらぺこあおむしは「さくらんぼパイ」とか「ペロペロキャンディ」とか、洋風の食物を次から次へと食べてお腹が痛くなっていたが、我が家のはらぺこあおむしは次々に山椒の葉を食べていく。

情が移り多少大容に見ていた幼虫ではあるが、そろそろその処遇を考えねばならん…なんて思っていたら、更に驚く光景を目にすることになった。

大きく、そして青くなった「はらぺこあおむし」とは別に、その予備軍ともなる弟か妹にあたる奴ら(現段階ではまだ青虫ではなく「黒虫」なのだが…)が3匹もいたのを見付けてしまった。

既に大きくなっている「はらぺこあおむし」は立派な蝶になるまで面倒を見ようと決めていたのだが、これは意外な出来事だった。

さて、どうするか…。