秋の夜に作るもの

9月ももう20日になった。

ついこの間、9月になったと思っていたら、もう3分の2が過ぎている。気候の面では夏とも秋ともつかない月間であるが、シルバーウィークと称されるような連休もあるので、意外に我が家への人の出入りもあり、それなりに慌ただしくも楽しく過ごしている。

今週末には秋の御彼岸の連休がやってくるのだけど、そのタイミングで九州の友達が我が家に遊びに来ることになった。

厳密に言うならば、九州出身で九州のとある町に根をおろしている友人なのだが、この春から勤務先の転勤により東京に単身赴任している友人が遊びに来るのだ。

この友人との思い出話は尽きない程にあるのだけど今日のこの場ではそこには言及しないでおく。

 

さて、今夜は昨日までの「なかなか一過しない台風」もいなくなり、秋らしく涼しい夜だ。今夜はエアコンをつけずに秋風の涼しさを感じながら過ごそう!なんて思っていたのだけど、僕の部屋の中で秋風を感じるには至らなかった。

帰宅してからしばらくは窓を前回にして蚊取り線香まで付けて「秋風全開モード」で過ごしていたのだけど、部屋の中まではそんなに心地良い風も入ってこないので結局エアコンを付けて過ごす夜である。

僕の部屋は自然の状態ではそんなに涼しくもないのだけど、ベランダを吹く風は心地の良い秋の風だった。ベランダで夕食を摂ったり、なんならそこで眠れば初秋の気候を存分に楽しめるような空気が流れていた。「ベランダには」だけど…。

外の空気は秋らしく涼しい!

…という訳で、今夜は初夏から取り組みたいと思っていた「燻製」を仕込んでおいた。

昔は「チップになる枯木を拾って、付近の迷惑にならないような山奥でモウモウと烟をあげながら燻製を作ってみたり」していたのだけど、この数年の僕は悪い意味で都会ナイズされていて、ベランダでダンボール燻製を楽しむような「低級燻製生活」を送っている。

これは反省するところもあるのだけど、そんな反省をしていても結局のところ、僕自身が気合を入れた燻製をつくる気は今のところないのだから、「ある種の開き直りのような気持ち」で僕はベランダ燻製に取り組んでいる。

一年以上前にベランダで燻製を作ったときの「ダンボール燻煙器」は日当たりの悪いベランダの片隅に保管してあった。単に雨を凌げそうなところに放置していただけなのだけど…。

こいつを久しぶりに部屋に持ってきて、初夏の頃に特売で買ってきたプロセスチーズを燻製にするためにセットした。

おそらくグラム単価では一番安くに買うことが出来ると思われるチーズを、暑くなり始めた6月頃に買っていたのだ。

その時は「おっ!チーズが安いじゃん!たくさん買って燻製にしよう!ウイスキーにも合うし、とにかくチーズなんて自分で燻製にしたほうが安価だし、市販のスモークチーズなんて大した燻製の薫りがしない訳の分からん加工品だしな…」なんて思ったのだけど、とにかく夏の暑さがこれから本格的になっていく時期だった。

チーズなんて食品は燻製の煙の熱があたっただけで隙きあらばトロけようとする熱に弱い食品だし、外気温の高いもの夏に燻製などつくろうものなら、原型を留めないほどにチーズがどろどろになろうことに、そいつらを沢山買ってきた後で気づく始末…。

お線香のように一度は火を付けておけばしばらくの間は煙を発する薫煙剤によるシャバいベランダ燻製だ。

学生のときにもやらなかった程の「ビンボー人がやりそうなボロ燻製器」でのスモークチーズだが、外で買ってくるものとは比較にならないくらいに美味いものが出来上がる。

僕は今夜と明晩、安いチーズをベランダで燻すつもりなのだが、これを友や家族に食べさせることを本当に楽しみにしている。

一過しない台風

9月になると台風がやって来る。

夏の暑さも去りきらず、そして秋の涼しさもなかなかやって来ないこの時期に、夏のものとも秋のものともつかないような台風がやって来る。

毎年のこの時期に台風が何発が過ぎていくことで、へばりつくように残っている夏の気配も一掃されて、気温とか湿度という「空気で感じる点」での秋がようやく本格的に始まるように僕は思っている。

さて、数日前からニュースにもなっている大型の台風はクルマよりもはるかに遅い速度で西日本に留まっている。

僕の住む町からは遠くはなれたところにいる台風なのだが、其の影響力の大きさによるものなのか、もう数日に渡って気持ちの良くない気候が続いている。今夜あたりには僕の住む地方でも線状降水帯が発生するようだ。

今朝、ちょっとした用事(青虫たちに食べさせる柑橘類の葉っぱ採集)で出掛けるために表に出たのだが、これまでに嗅いだこともないような「嫌な生臭い空気」が漂っていた。

何も僕が生臭いものを嗅いだ経験が無い訳ではない。その嫌な匂いはとにかく広範囲に渡っていて、町内を覆い尽くす付近一帯の空気全体が生臭いのだ。そこらを歩き回ったのだけど、その嫌な匂いはずっと感じられていたのだから、僕の鼻のそばに「なにか嫌な匂いのする物質」がくっついているではないかと思った程だ。

これが台風の影響なのか?秋口の気象条件によって発生するものなのか?はたまた、僕の住む町の全体を覆い尽くすようなトラブルによるものなのか?

原因は未だに分かっていないのだけど、とにかく嫌な空気だった。

そんな不快な匂いに包まれた町内を歩き回っていると、これから満開を迎えそうな彼岸座とクロアゲハを見かけた。

僕のうちのアゲハ蝶もそろそろ羽化してウチを出ていくのだろう。華麗に舞うクロアゲハと真っ赤な彼岸花

嗅覚に届く不快さは続いている中で、この赤と黒コントラストはこれから深まる秋を感じされるもので、僕の視覚をとても楽しませてくれるものだった。

秋の味覚

これは人にその美味しさを伝える為というよりも、自分の記憶を色褪せないものにして、その美味しさを頭の中で反芻するための文だ。

鮎は焼き過ぎす、と言ってもワタにも熱が通り皮がパリッとする焼き加減で食べる。火加減もそうだろうが、化粧潮のあて方とか串のうち方というのもちゃんと勉強しておきたい。

なんと言うこともなく、我流で雰囲気だけを象ってやっているものは、その場しのぎとかごまかしにはなるのだけど、後で真意を知ると恥ずかしいくなるようなことが多い。

藻屑蟹は川辺の販売所では「雌の方が美味しい」という触れ込みで売られているそうだ。

僕は雄の方が美味しいと思った。

蟹の玉子なんてもそもそした味気や旨味のないもので、あれを喜ぶ人の気が知れない。そんなものよりも「筋肉質な身や味噌が多い方が美味しい。藻屑蟹は雄に限る!」と僕は思っている。

秋の味覚(上旬編)を楽しむ

毎日が涼しい訳ではないし、夜になって外を歩くととても涼しく感じるのだけど、自宅で窓を全開にしても充分に涼しい風は入ってこず、まだ眠るときにはエアコンを付けている。

 

エアコンを付けているうちは、まだ100%季節が移行していないように思うのだけど、僕の食卓は随分と秋らしくなった。

厳密に言うと「秋らしさ」ではなく「夏らしいものが姿を消した」のだ。

 

農協に出掛けても、数週間前から露地物のトマトはなくなったし、胡瓜やオクラも随分減った。茄子も徐々に減っていて、その盛りを過ぎたのが分かる。

じゃあ、代わりに何が増えたのかと言うと、特に増えたもののインパクトなど無い。多少、イモ類が増えたけど、秋らしい少し落ち着いた野菜があるでもなく、夏らしい力の漲った野菜があるわけでもない。端境期なのだ。

 

野菜においては季節感ドンピシャリのもののないどっち付かずの端境期であっても、この時期にこそ食べたいものというもの存在する。

ほぼ毎年のことなのだが、9月の下旬に食べる鮎を僕は楽しみにしている。もう少しあとの卵を抱えた落ち鮎もいいのだが、これから秋が本格的になっていくる気候(と言っても、このなんとなく涼しい感じがどっぷりと秋なのだろうけど…)に食べる鮎が美味い。

消費の仕方が普通ではない

昨日、バジルが花を咲かせたことをこのブログに書いたが、バジルだけでなく僕が多量に食べることの多いベランダ作物について記す。

これは、今朝摘み取った紫蘇の葉である。

今年の紫蘇は第一弾は3月に植えてゴールデンウイークくらいから食べ始めたように思う。そして、ゴールデンウイークには第二弾となる紫蘇を植え、これを今でも摘んでは食べている。

紫蘇も青年期あたりのものが葉っぱもみずみずしくて美味しく、夏を越したものはやはり摘み取ったばかりのものであっても新鮮さに欠けるような味がする。

そう思うと、同じ作物であっても時期を変えて植えていくのはとても効果的だと今年実感した。こうした生活の木知恵なようなものはモノで読んだり人から聞いてもなかなか自分のものとして入ってこない。やはり百聞は一見に如かずということなのだろう。

 

さて、紫蘇の葉の消費の仕方も「菜っぱを食べるように」するのことが多い。これは特に好きな訳でもなく、多量に紫蘇が採れて捨てるのも勿体ないから菜っぱのように食べるのである。

春から夏にかけてはこの多量の紫蘇を青柴漬けの材料にしていたのだけど、青柴漬けもすっかりと飽きてしまった。次に漬けるのは来年の初夏になるのだろう。

最近の菜園

はらぺこあおむし」が現れたのもベランダでの出来事だが、ベランダの菜園の栽培物も元気に育っている。

ゴールデンウイークに種を撒いたバジルの元気さは以前にもこのブログに書いた。

その後もバジルは全く衰えることもなく、週に一度くらい「香草などではなくナッパのような野菜」として僕はバジルを食べている。

こんなにバジルを消費する中年男なんて日本にはいないだろう。東南アジアの本場ではどのくらいの頻度で「ガパオライス」が食べられているのか知らないが、その地方の人の消費量には負ける気がする。

あと、ジェノバの人が殊更「バジルペスト」のスパゲッティを食べている訳でもなさそうだから、ジェノバ市民のバジル平均消費量よりこは僕の方が上回っているように思う。いずれも確信する根拠などないのだが…。

さて、そんなバジルが可憐な花を咲かせた。

花芽が生えてくると摘みとったりして花を咲かせないようにしてきたのだけど、そろそろ花を咲かせても良いかと思ったのだ。

理由はバジルに飽きたからだ。

そろそろ種を残させて、その後のバジルのプランターには何か別のものを植えてもいいだろう。

続 旅立つ準備

我が家のはらぺこあおむし(娘のことではなく、モノホンのアゲハ蝶の幼虫の方)は着々と独り立ちの支度を進めている。

丸々としていたイモムシがどうやってこんな形になるのか?

変体の経緯を見てみたいものだが、はらぺこあおむしが蛹になる支度を始めているなと気が付いたら、その夜にはすっかりと蛹になっていた。