続 ラッパの練習

今週はこのブログに書きたいことも目白押しの「いろいろなことを感じた」一週間だった。

まず、前回の記事で書いたラッパの練習についての続きを書き留めておく。


一週間のことになるが、意気揚々とチャリンコで向かった市民楽団のメンバーたちは善良そうな人たちで、久しぶりにプライベートで「こういう人たち」と会ったように思う。

これは僕が平素のプライベートにおいて悪人とばかり会っているという訳ではない。この2年くらい、本当に人と会うことなど少なく、初対面の人と数時間過ごすことなどなかったから、善人だろうが悪人だろうがとにかく人と会うこと自体がとても久しぶりなことなのだ。


楽団の練習は13時〜16時30分までだったのだけど、こんなに長い時間、楽器を吹こうとすること自体、15年ぶりくらいのことだった。

練習について、僕が感じたことや課題として見つけたことはここには書かないのだけど、とにかく疲れた。そりゃそうだ、15年ぶりなのだから。

僕がラッパを吹かなくなり始めた15年前に生まれて、今現在15歳に成長してブラバンをやっている子供がいるとする。その子なんかのほうが僕よりも圧倒的にちゃんとラッパを吹くだろうし、耐久性も勝てる気がしない。

とにかく疲れが酷かったのだけど、よく考えたらラッパを吹くという「スポーツですらないようなこと」すら、僕は長年行わずにいた。大したことでなくとも、身体を使うこと自体がとても久しぶりだったのだ。

帰宅すると背中や下腹に筋肉疲労がズンと残っていた。ある程度の時間、ラッパを吹いて少しでもちゃんとした音を出そうとすると、息を吐き出すために体内の筋力を使うのだ。普段から楽器を吹いている人は無意識のうちにそんな筋肉を使って、知らないうちにそれなりの筋トレをしているのだろう。

勿論、片道6キロのチャリンコ移動による疲れもあるのだろうけど、背筋や腹筋の痛みはチャリンコ由来によるものではないはずだ。


少し離れた郊外までチャリンコで出掛けてラッパの練習をする。そんなにハードなことでもないし、大学生の頃は最も長い距離の移動でもっとハードな練習を2日に一度くらい行っていた。更にその頃は練習後にむちゃくちゃに酒を飲んだりしていたものだ。


学生の頃からだと25年、ラッパの練習をやめてからは15年、この間に僕の肉体はひたすら退化を続けていた。歳を取ることによる退化もあるけど、それ以上に怠けていたことによるものが大きい。


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この間にちゃんと練習しておけばどんなに巧くなっていただろうか?なんて思うこともある。しかし、そんなものはどれ程考えてみたところで過去にもどれる訳ではないし、そんなのラッパのに限った話ではない。

今出来ることをいまだちゃんとやる。
何事においてもこれしかないのだ。