ジージャンを育てる

昨日の涼しさ(肌寒さ?)とは一転、今日は初夏らしい素晴らしい気候だ!

このブログを書いているのは夕方前なので、まだ陽も高く行楽日和そのものの一日が続いている。

そんな素晴らしい天候のもと、今日も朝からベランダで本を読み、ジージャンと革ジャンの手入れを行った。いずれのジャンパーも僕はしょっちゅう着ているし、大切に着込んで経年劣化をエイジングとして育てていく喜びのある衣類である。

ジージャンは昨夜のうちに腕の部分をガチガチに糊付して、表に干しておいた。腕の曲がるところにより深い皺が入りることでカッコよく育つ。

リアルな曲がり皺が入った状態で糊を固めたかったので、昨夜風呂場でジージャンを着用して、その上から丹念に糊を付け、皺が伸びないように注意しジージャンを脱いで、その状態を維持するようにハンガーに掛けて干しておいたものだ。

腕の部分は透明人間が着ているのではないかと思わせるほど立体的にパリッと乾いている。

バリバリに糊の効いたジャンパーはとにかく着込んで馴染ませて、そして深く味のある皺が刻まれていく。このために早速ジージャンを着て近所の公園にラッパの練習に出掛けたのだが、思いの外暑かった。

このため、ジージャンを脱ぎ捨ててそこらに置いておいたのだけど、その立体振りには少し驚いたほどだ。

風呂場で裸になってジージャンを着込んで、その上から洗濯糊を塗り込んでいく。体にも糊が付くから当たり前のように、肌がペタペタするのだけど、そんな状態でリアルな立体的な皺が入るようにジャンパーを整えてハンガーに掛ける。そして、ペタペタした裸体のまま大急ぎでジャンパーをベランダに干す。

外を歩く人に見つからぬようにジャンパーを干していると「こうまでしてジージャンを育てなくてはならないのか?」と自問自答したくもなるが、答えは「当たり前だ。そのくらいの愛情を注げぬ奴がジージャンを育てることなど出来ない。」である。

こうして僕は、バキバキ過ぎて着ていると肩も凝るし体が痛くなるジージャンを、体に鞭打ちながら日々着るのである。