ふたつの「火垂るの墓」

前回、名作アニメ「火垂るの墓」について記したが、今回はドラマ版について。

僕のうちにはアニメ版だけでなく、ドラマ版のDVDもある。このドラマは既に20年近く前に作られたもので、放送当時はその存在は知っていたが特に火垂るの墓への強い愛着はなかったので見ていない。見ようともしていなかった。

 

アニメ版をyoutubeなどで見るようになってから、「この作品を見るとなんだかやりきれないような気持ちになる」理由を僕なりに整理することが出来るようになった。

中学生と幼児が母親と死別する。頼った先の親戚宅では快適な生活を送ることが出来ず、二人暮らしを試みるが敢え無く餓死する…こうした話の流れに「可哀想で見てられん」とか「助け合いの優しさはないのか」みたいな意見を持つ人が多かったように思うし、僕も少年時代にはそんなふうに感じていた。その一方でなにかの違和感を感じていたのだが、それが何なのか突き止めるまではものを考えなかった。

そこから何年も特に意識してこれを見ることもなかったのだが、おっさんになってからアニメ版を見ると「その違和感」が明確に分かった。考えるまでもなく見た瞬間すぐに。

最終的に餓死する兄妹がとにかく我儘で自分勝手なのだ。助け合いやら感謝の気持ちを持ち合わせていない。そりゃ、路頭に迷って死ぬしか無いよな…と納得どころか大いに同意する内容だということが明らかだった。

これは僕が親になり、それなりに社会性を持ち合わせたことで「一目で分かるように」なったのだろう。子供の頃は死んでしまう兄妹の方に感情移入し易いし、子供の描写の可愛らしかに演出面での力が圧倒的に注がれている。そこでガキには本質を見抜くことが出来にくくなるのだ。

このことを、もう10年くらい前になるかと思うが酒飲み友達の舎弟に話したところ、彼の意見は「兄妹、可哀想。おばさんは鬼。」とのガキの意見そのままのものであった。彼は人の親でもなければ結婚もしていなく、そのまま我儘なガキような初期中年だったのでそれも当然だったのかも知れない。

 

さて、そんなふうに「火垂るの墓の考察」をモノマネを交えながら楽しんでいたのだが、そのうちにドラマ版のyoutube映像も見つけた。恐らく、アップされては消えていくアニメ版を検索している時に見つけたのだろうと思う。

これも舎弟とともに何度見たことだろうか。アニメ版とのシーン比較やら、個々のキャラクターの特性など、ツッコミどころを含めて話題性満載のドラマだった。

まず、西宮のおばさんを松嶋菜々子が演っていて彼女が主人公なのだ。兄妹に対して冷たく接しても、それが美人であれば多くの者が彼女に共感する。美人正義論が兄妹を追い詰めるところに、妹セッちゃん役の子役のあざとさ満点の演技が炸裂する。

ドラマ放送時にはまだ芦田愛菜ちゃんもデビューしていなかったのではないかと思う。子役の芦田愛菜を数倍濃縮したような「わざとらしさ」は視聴者の感情を逆なでし、松嶋菜々子への同情票に繋がるように僕は思っている。

そもそも話の筋などどうなるのか分かっているから、何がどうなるのか?という楽しみは殆どない。そこに気を取られない分、登場人物の心理描写をどう表して行くのかに注目することが出来るのだ。

趣の異なるふたつの作品だが、両者共に素晴らしい。これは優れた作品という訳ではなく、陳腐なものであっても「人々に戦争と平和について考える機会を与える」という役割を全うしていることにある。

映画や長編ドラマとしてはそれぞれに駄作なのだろう。ならば、原作がしっかりとしているかというと野坂昭如の関西文章が全く読みにくくて、なおかつ彼の創作によるということで感情移入など出来るものではない。それらを噛み砕いて娯楽にしているという点からも、この2作品は名作だと思う。