靴が好きなのだが、ここ最近、しっかりと靴の手入れをしていないように思っている。
ブラシを掛け、膏を含ませるような簡単なケアはそれなりに行っているが、そんなのは洗顔して化粧水をはたくような「日々の生活の中で当たり前のこと」なので、特に靴の手入れだとは見做さない。僕の言う手入れとはソールを補強したりする靴屋のプロの技が必要な作業のことである。
東京を離れて3年半が過ぎた。東京に住んでいた間が恵まれすぎていただけなのだが、近所に腕の良い靴修理屋があったので靴のケアには困らなかった。前回の記事でも批難した「リアット」においてもちゃんとした店のがあった。全国チェーンであってもやはり店主のキャラや能力は反映される。銀座のリアットはしっかりとした店だった。
靴というものは基本的には一生モノだと思っている。そう思い続けたいのだが、そうでもないかかも…と思うこともある。
この20年くらいは靴は基本的には修理をして、長く履けば長く履くほど味が出る=エイジングするものとして扱っている。これには間違いはない。
ただ、長く履いた靴を修理する際、やはり経年裂果により傷んでいる箇所が増えてくるので修理費用も馬鹿にならない。
靴の裏を総取替えすることをオールソールというが、昔(15〜10年くらい前)は10,000〜15,000円くらいでこれが出来ていた。少し前なら色々とフルセットで修理しても20,000円くらい。
今回、僕は長年愛用してきたコードバンのVチップを修理に出したがこれが3万円近くした。それもオールソールの最低料金で、修理を進めてみてその状況によってはまだ追加料金がかかるかも知れないという状態である。
15年くらい履き続けている靴なのでその風格は非常にカッコいいし、この風格こそお金で簡単に買えるものではないと分かっている。もの大切に扱いそこに修理などでのお金もケチらずに払う…こうした気遣いと財力の掛算の上に成り立つカッコよさなのだ。だが、修理代の高さは痛手となる。
メルカリが発達してから、中古のものが中間マージンを過剰に取られることなく手に入れられるようになった。ものの良し悪しやコストパフォーマンスは玉石混交だが、新品を買えば7万円とか10万円くらいする靴も3万円程度で売られていたりもする。
これまでは15,000円払っても納得のいく靴は手に入らない。ならばこのお金で持っている靴を修理して可愛がろう…と考えていた。
人件費高騰に伴う修理代の値上がり。流通形態の変化による商品の価格変動。古くなったものを捨てずに大切に使う…そんなことはかつては貧乏でケチくさいことのように思われていたように思う、尤もこれもものの真贋が分からない軽薄な部類の価値基準だと思うが…。
古くなったものを維持、保全することの難しさ、そこに対しての費用対効果。靴に限らず、僕の生活様式も色々と価値基準の更新が必要なのか?と考えさせられた。