昨日の続きで、今日もカリフラワーのことを記す。
幼少期の僕にとっては「花野菜」というものがカリフラワーのことだったし、何ならブロッコリーのことも「緑の濃い花野菜」だと呼ぶのだと思っていた。後者については比較的早い段階で「これはブロッコリーと呼ぶものだ」と母親から教えられたし、それから間もないうちに「白いのはカリフラワー」と教わったようにも思う。
まず「僕がカリフラワーのことを花野菜と呼んでいたのは昭和の昔の言い方なのか?」「あるいは我が家だけの超ローカルルールだったのではないか?」と気になったので調べてみた。
ネット辞典の引用だが、カリフラワーの別名を花野菜とと呼ぶそうであり、僕がアレのことを花野菜と呼んでいたことは特に間違いではないようだ。
そんなカリフラワーのことで思い出されるのは、僕のおばあちゃんが茹でたカリフラワーを酢と塩などで調味した「味付けカリフラワー」とでも呼ぶような料理を饗してした。僕が小さい頃の話だから、その味を明確に思い出すことが出来ないのけど、僕は単に茹でただけのカリフラワーにマヨネーズをつけて食べる方が好きだった。
ある日のこと、おばあちゃんが「味付けカリフラワー」を作ろうとしいるのを見つけて「僕は茹でただけの方が好き。それは好かん。」ということを伝えたところ、孫に甘いおばあちゃんは僕の望むとおりにしてくれたような気がする。
そのタイミングだったと思うのだけど、おばあちゃんがカリフラワーについての思い出話をしてくれた。
昔、ウチにお客を招いた時に、ホストシェフだったおばあちゃんは「味付けカリフラワー」を出した。
よく考えると、僕が小さな頃はおじいちゃんの友達が日中ウチにやって来て、それを饗す料理をおばあちゃんが作り、後半戦には孫の僕も呼ばれて一緒に御馳走(と言っても家庭料理)を食べさせてもらい、その御礼とばかりに僕は歌を歌ってみたり読んで覚えた物語をさも自分の体験のように話して見せたりしていた。
そんなことをしていると僕のおじいちゃんは「自宅の孫」とばかり上機嫌になり、それに被せるようにおじいちゃんが「これぞ!」というような爆笑話を披露して僕も一緒に笑う…そんなことが年に数回はあったように思う。
今思うと、どうしようもない田舎にいたから、そこらの店で一杯やりましょう…なんてこともなかったのだろう。
そんな会食の際のおばあちゃんの思い出話なのだが、ある時会食が終わって客を見送りした後で、一人の男性が戻ってきたそうだ。おばあちゃんは「なにか忘れものでも?」と尋ねたところ、「いや、さっきの味付けカリフラワーはとても良く美味いものでした。それをお代わりすることを忘れて…」ということだったそうで、その男性を再びウチに迎え入れてカリフラワーを中心とした宴席が再開された…そんな話しを聞いた。
今思うと、とても微笑ましい昭和の家庭宴会の光景なのだろうが、当時の僕を惹きつけたのはその人物についてである。
僕の通っていた小学校には「大野先生」という当時でも多分50代、恰幅が良くて声がデカく、遠慮などなく児童を叱り飛ばす先生がいた。彼の風体について当時の僕は「NHKの松平アナがコワい感じ」と捉えていた。
「カリフラワーをお代わりに戻った男性」はもう何年も前の30代くらいだった若き日の大野先生だったそうだ。
花野菜と呼ばれていたカリフラワー、昭和の家庭宴会、そして松平アナ似の大野先生、これらの要素を知らない人から見るとなんということもない意味のない話である。しかし、それらを熟知する僕としては「カリフラワーのことを考えると思い出さずにいられない」どうしようもなく懐かしい話なのである。