続 蕨を食べる

昨日の昼間、僕は蕨を茹でた。

蕨という食材を買うのは初めてのことだ。「買わずに摘んでいたから…」なんてトンチ小僧のようなことを言うわけでもない。蕨を買うだけでなく、蕨を料理することも初めてのことだったのだ。

子供の頃は春になるといつでも蕨が食卓に出てきて、弁当にまで蕨を炊いたものが入っていた。特に不味いものでもないが特別に美味いとも思わなかったので、僕にとっては人畜無害な存在感の薄い料理だった。

この印象が大きく暴落したのは母親の調理方法によるものである。いつだったか、蕨を炊く出汁にイリコを用いたのだけど、このイリコを取り除かずにそのまんま蕨と一緒に盛り付けられた。深緑〜褐色をした蕨とのそばに銀色に光る煮染められたイリコがあるという光景は食欲を大きく現逮させるものだった。

以来、僕にとって蕨は「何なら食べたくないもの」に成り下がっていたし、出汁を取ったイリコがそのまま残してあるならば、その汁物をひっくり返して捨てたくなるくらい出汁殻のイリコが嫌になった。これは見た目の話であり、イリコ出汁の味自体は好きなのだけど…。

さて、蕨の話に戻そう。

大鍋に重曹と塩を加えてグラグラと沸かして蕨を茹でる。重曹の効果は凄いもので、あっという間に茶色い灰汁が浮いてくるし、蕨の表面に生えている産毛も抜けて水面に集まってくる。

そんな様子に感心していると蕨の繊維が崩れ始めていることに気が付いた。大急ぎでお湯から引き上げ、色止めの冷水に浸して蕨に熱が入らないようにする。

もう40年くらい前の記憶だが、実家では蕨の灰汁抜きのために蕨を一晩洗桶の水に漬けていたので、蕨の灰汁は相当にキツイものだと思う。食べてみてエグみやシブみ満載だと嫌なので、色止めした蕨を更に水にさらしておいた。この水に結構茶色に濁ったので「どれほどの灰汁を抱えていたのか!」と驚いた。

こうして下拵えした蕨に土佐醤油の鰹節殻をまぶし込んで食べる。ネットリと柔らかく美味しいものだった。

特に味や香りがある訳でもない。何が美味いのか?単に鰹節の出汁の味なのか?そこに柔らかくもったりとした感じの食感があるから美味しいのか?考えてみてもその美味しさの構成要素はよく分からなかった。

母親の調理方法によって35年くらい食指が動かなかった蕨だが、これを久しぶりに食べようと思わせた一文がこちら。

魯山人も蕨の味を高く褒めているのだ。…って、彼が河豚と並べて蕨を美味いものと評していたことは15年以上前にこの本(魯山人味道)を読んで知っていた。しかし、これまで特に蕨を食べたくならなかったのは、僕の深層心理では「蕨が不味く思えたこと」の執行猶予期間であり、今年になってようやく時効が成立したのかも知れない。

田螺を愛する陶芸家の彼は酢醤油で食べるそうだ。早速、今夜は柑橘の搾り汁を加えて食べてみたいと思う。