伊東のラーメン

昨日は下田〜稲取〜伊東のあたりを仕事で回っていたのだけど、東伊豆に「肉チャーハン」なる名物料理があるとのことで、その店まで足を運んだ。

「足を運んだ」なんて言っても移動途中に少しだけ道を逸れたところに肉チャーハンを出す「ふるさと」という店はあるので、ついでに寄ってみた…という方が正確である。

生憎、ふるさとは店休だったので、特に目的もないまま伊東まで移動し駅の近くの中華屋で昼食を撮ることにした。

「阿於㐂」と書いてアオキという店はこのあとで訪問したスーパーアオキとは関係ないと思う。たまたまこの日はアオキに連続訪問したが、こちら中華のアオキはなんということもない味だった。

ラーメンは蕎麦つゆに細い中華そばのようなものが入っている純和風のもの。コクや旨味というものはほとんど感じ取れず、キレとしょっぱさが際立つ味。旨味はないけど、これはこれで美味い。

脂も一枚の焼豚からわずかに染み出したものがあるくらいで、かけ蕎麦を食べているような気持ちにもなる。こうした蕎麦屋の和風ラーメンみたいなものは5年に一度くらいの頻度で出会うことがあるのだけど、たまに食べるとそれなりに美味いとは思う。

ここではラーメンにギョウザも添えて食べた。ランチサービスで割安になり、この二品で950円。ただ、ギョウザは具杯もパンパンで大きく食べ応えはあるものの何だかよく火が通っていないような味で特に美味くはなかった。

ラーメン、ギョウザとも特に惹かれることもない味。なのに、店内の昭和の食堂っぽい佇まいのせいなのか、何だかまた来たくなるような店だった。行かないと思うけど…。

「慣れない食物」への興味

さて、大層なタイトルをつけたが大したことを論じるわけでもない。最近の出来事から思い出したことをこちらに記しておく。

まず、タイトルについて話をするのだけど、これからの話は僕が中学生の頃の記憶である。それは、当時の僕の母が僕に対して熱弁を奮っていたことなのだけど「これまで食べたことが無いものに対して、変にバリアを張るやつは大したことのない奴」という話だった。

彼女の説によるものだが、経験したことのない食物に対して変にそれを恐れたり、固定概念で距離を置いている人は新たなものを取り込もうという意欲が欠如しているのであり、そんな人は大したものにならない。日本という国は鎖国をやめての開国以降、莫大に進歩しているが、これも「なんでも食べてみよう」「なんでも取り込んでみよう」という好奇心によるものであり、保守的な考え方ばかりでは進歩することはなかったのだ…という持論だった。

 

こうした説が正しいものとして世の中に捉えられているのかどうかは、その後の僕は調べてもいないし、今となっては疑問も感じる乱暴な説のようにも思うのだけど、中学生の僕は「まさにその通り!」とばかりに「新たなものにもまずは手を出すことが美徳」とばかりに色々なものを取り入れたりする少年時代を送ったような気がする。

この説を「より正しいものとして息子に説明する」為に、僕の母が用いたのは身近な親戚の生活スタイルである。

僕の父方の祖父は僕が小学6年生の時に他界したのだが、子供心に見ている分には様々なことへの興味を忘れることなく、話題の幅も広く実に魅力的な人物だったのではないかと思う。友人も多かったように見られる。

対してその伴侶である祖母は「保守」を体現したような人で、一度気持ち悪そうと感じたものは決して口にすることもなかったし、生活スタイル自体を彼女なりにピシッと決めていたように思う。それ故、人としての幅は極端に狭かったのでないか…と今になって思い出してもそう感じたりする。

ただ、その当時から35年くらい経った今になって思うのは、母によるタイトルの説明は「育児の中で好き嫌いを言わせない為の母親としての方便」だったのではないのか?とも思うのだけど、全てが間違いではないのかも知れない…と50歳の僕は思ったりもするのである。

経験値として色々なものを取り込むのもいいことだし、自分の価値観を尊重して己を貫くことも悪くはないだろう。そして、食物に対する姿勢が生活全般に当てはまるかと言うとそんなこともない。非常に奥床しく紳士的な振る舞いをする人が食物にだけは賤しい…というともあるかも…。…って、そんなことは滅多にないか?

 

さて、昨日の話だが、仕事で伊東を訪れた僕はスーパーに立ち寄った。アオキという静岡県東部に展開するスーパーは割と面白いところだ。

スーパーというのは各店舗で画一的なものを揃えて、それらを大量仕入れすることで販売価格を下げるという手法を取るところが多い。アオキの魅力についてはまた別稿に記そうと思うが、この日は「マンボウ」が売られているのを見つけた。

本日 おすすめ大人気「伊東産まんぼう刺身」

100g あたり158円

●まんぼう

食べやすい大きさにちぎり、そのまま生でワサビ醤油で、又は湯引きして酢み社、ポン酢でお召し上がり下さい!

(こんな食べ方あります。試してください)

ペーパータオルで水気をよくとり、てんぷらや、フリッター、からあげで!唐揚げ粉は水溶きタイプが最適です。煮付けでもおいしいです!!油で揚げたら、温かいうちにお召し上がり下さい! 水気が多いいので冷めると水っぽくなります。

…とのこと。

25年くらい前に仕事で伊東に来た時に、地元の鮨屋マンボウを食べさせてもらった。ただ、それは「ヒャクヒロ」と呼ばれる腸を湯掻いたものだったように思うのだけど、その味を含めて細かな点は思い出せない。「マンボウのなにかを食べた。そしてそれは特に美味いものではなかった。」ということだけが記憶に残っていたのだ。

味覚が変わり、25年後に50歳になった僕が食べると美味しくなっているかも知れない…そんな期待は全くしていないが、何だか懐かしくもありマンボウを買って帰った。

添えられていた肝と一緒に山葵醤油で食べたのだが、これは魚なのか?と思うほど魚らしい旨味はなく、クラゲほどではないが多少の食感と微かな魚の生臭みを口に残す不思議な食物だった。

肝についてはそれなりに肝らしい旨味もあるように思うのだが、白く光る身の部分が全く旨味がないので一緒に口に入れた肝も単に生臭いものというように感じられた。

スーパーのポップには「大人気」と書かれていたが、僕には全く人気のない魚だ。ただ、これを食べ慣れた人からすると、これこそが伊東の味なのだろうしマンボウが大好物という人もいるのだろう。

味を覚えていない食物への好奇心を満たすという意味では昨夜のマンボウは面白い一品であった。しかし、問題なのは身も肝もまだ半分ばかり残っているということ。もう食べたくないけど勿体無いから捨てる訳にもいかん。どうしようかと悩む朝である。

お土産とかプレゼントとか

人からものを貰うこともたまにはある。

先月も誕生日の際に以前の部署の部下たちから沢山の駄菓子が送られてきた。これは「送られてきた」ものなのだけど、「贈られてきた」という方が正しいのだろうか?

食べきらないほどの麸菓子とかスナック菓子とか、はたまたレトルトカレーとか…。本当に食べきらない程の量なので、というか、まだほとんど食べないままに我が家に置いてあるのだけどこれも賞味期限を迎える前に食べないといかん!と思っている。

 

こうした贈答品は品の良し悪しなど本当に関係なく、とにかくその気持ちが嬉しいものなのだ。逆説的にと言うか、皮肉交じりで言うと「もらった瞬間の喜び」がほぼ全てなのでそれらを食べることへの喜びはそんなにも無い。申し訳ないことだが、やはり上等な品ならば「消費する喜び」も伴うのかも知れない…。

さて、品の良し悪しに加味して「これは嬉しい!」というようなプレゼントを貰わなくなってから久しい。そりゃそうだ。僕も本当にいい品を人にプレゼントすることなど、久しく経験していない。

「情けは人の為ならず」ではないが、大した施しもしていないくせに大したものを貰おうなんて虫の良すぎる話だとは理解しているから、そこには期待もしていない。

…とプレゼントについて思うことを述べたが、最近、品の良し悪しとは関係なく別格に嬉しいものを貰うことがあった。

これは先日、我が家に遊びに来た末娘からの贈呈品であるが、これは「中学の卒業旅行的に横浜に日帰りで出掛けた彼女からのお土産」である。

初めて横浜に遊びに行ってきた彼女はラーメン博物館に行ったそうで、そこで一番人気っぽいラーメンをお土産として買ってきてくれたようだ。

「熊本、こむらさきのラーメン」。こむらさきのラーメン自体は昔、新宿で食べたことがあるように記憶しているが、それも定かではない。ただ、僕がこのラーメンの名前とか存在を知っているということはきっと過去に遭遇したことがあるはずだと思う。

まあ、娘からお土産として貰ったラーメンについてはそいつをどこかで食べたことがあるか?とか、本質的にそのラーメンが美味いかどうか?など僕には全くと言っていい程、関係ない。

 

親バカである恥を忍んで言うと「娘が僕のために選んでくれたものならば何でも嬉しい」のだ!それが美味かろうが不味かろうが、僕にとってはどうでもいい話なのだ。

「親バカであることのカミングアウト」ついでに言うならば、僕は滅多に子供たちからプレゼントやらお土産を貰わないものだからその希少性故に、やたらにそうした品を大切にしている。

もう10年近く前に貰ったバレンタインデーのお菓子とか、その後ではあるが何年も前に貰ったディズニーランドのお土産のジーニーのパンツとかアラジンの化粧水も勿体無くて使えるわけもなく、それらは大切に保管されているのだ。

大切にし過ぎていて、それらを保管していることすら忘れてしまうレベルに達していて、冷蔵庫の大掃除とか引越のタイミングで大層にラッピングして保管されているそうした品を見つけて自分で驚くような状態なのである。

…と、そんな状況を末娘に伝えたところ「このラーメンはすぐに食べてよ!そして、ラーメンの感想はちゃんとラインとかで教えてね!」とのことだった。

普段、何かしらの買ってきたモノとか貰い物の菓子やら、あるいは自作の食品を娘に与える毎に僕が子供たちに伝えている「人からモノを貰った時には、感想とその感謝の念を必ず伝えること」。これが全く同じような言葉で僕に返ってきたのであった。

名曲に登場する花

この春、留年とかせずに無事に中学校を卒業出来ることになった末娘が昨日から今日にかけて我が家に遊びに来た。

昨夜は夕食後に「サウンド・オブ・ミュージック」を一緒に見た。この作品はベタではあるし子供向けのものなのかも知れないが、主張と見せ場がストレートに表現されていて僕は名作だと思っている。娘が小さな頃は度々見ていたように思うが、この数年は一緒に見ていなかったはずだ。そして僕が一人で見ることもないのでこれを見ること自体久しぶりのことだった。

その翌日…って、今日のことだけど、朝食を摂った我々は沼津の千本浜公園に出掛けた。千本松公園だったかも知れないが、僕にとってはそんなのどっちでもいいことだ。

とても沢山の松が立ち生える松林の中で娘が立ち止まって一つの花に興味を示した。

白く小さな花だった。

ここに来るまでに僕たちは生活排水も流れて出てきそうだけど水が澄んで綺麗に見える小川沿いを歩いてきた。その小川には「ていらぎ」が沢山生えていたので水質も奇麗な川だったのだろう。ただ「ていらぎに見えるソレ」が本当にていらぎがどうか不安だったので、グーグルレンズで写真を撮り確かめたりしていた。結果、そいつはクレソンと表示されたので僕の見立ては完全正解ではなかった。

そんなこともあってか、どうやら娘は僕にグーグルレンズでこの白い花の正体を突き止めて欲しい様子だった。ストレートにそうは言わないのだが、奴が望むことなど親ならだいたい分かるものだ。

携帯を取り出し起動させる間に娘はこんなことを言った。「昨日、映画で見たエーデルワイスもこんな感じだったよね。」

そう、まさに昨日サウンド・オブ・ミュージックに出てきた花は小ぶりで白く、こんな感じだった。僕はそれまでエーデルワイスとはユリの花のことだと思っていて、昨夜も映画冒頭部分の丘のシーンのときには「こんな丘でユリみたいな花を見つけたらエーデルワイスを歌いたいな」とか娘に話しかけていた。それは僕の勘違いによる全くの間違いだったのだが…。

劇中でナチの独裁国家となったドイツに侵略されながら祖国の誇りと愛を貫く軍人である父親が歌うエーデルワイスは素晴らしく、その父を支えるように家族皆が合唱に加わる場面は名シーンの一つと言えるだろう。そんな思い出深いシーンを彩った花と沼津の公園で出会えたことに僕たち父子は少し感動していた。

 

……。

…………。

グーグルレンズによるとこいつはエーデルワイスなどではなく、花ニラとのこと。それを知った娘は細長いその葉っぱを一切れ摘み取り、その切れ端を鼻に持っていって香りを確認してみて「クサッ!」と大きな声を発した…。

…だよね、こんなところにはエーデルワイスはないよね…。僕たちはそれまでの話題を180度転換させて「ニラ玉って美味しいよね」「あれは白いメシが進むよね」とか「お前、ニラレバも好きだろ?」なんてことを喋りながら、松原を後にしたのである。

小麦粉料理

昨日から末娘が遊びに来ており、昨夜は彼女のリクエストにより「洋食」での夕食とした。

マカロニグラタンを作って食べさせたのだが、これを作るのは25年ぶりくらいのことだった。ならば「25年前、なんの時にグラタンを作ったのか?」と考えても全く思い出せないから、それは30年前のことだったのかも知れない。

「蕪のグラタン」というものが好きで、これは何年か前には冬になるとよく作っていた。それでも缶詰のホワイトソースを使っていたので、ホワイトソースを作って「ちゃんとグラタンを手作りする」のが随分と久しぶりのことだったのだ。

僕は大抵のものを美味しく食べる…のだけど、やはり好き嫌いはある。食べられないものはほとんどないから、出されれば食べるのだけど、やはり食べたくないものにも結構、遭遇するので「好き嫌いは無い」とは言えないのだろう。

まず、不味いものが嫌いだ。あと季節感を無視しまくったものとか、バカっぽい人が作った食物が好きではない。そうしたものとは一線を画すのだが、ホワイトソースの料理もそんなに好きではない。

あれは小麦粉を食べているだけなので、メシともオカズともつかないようなところが好きではないのかも知れない。冬になると販売されるグラタンコロッケバーガーなんて、小麦粉の麺類(マカロニ)を小麦粉のソース(ホワイトソース)で煮込み、小麦粉のサクサクした粉(パン粉)をまぶして油で揚げて、小麦粉の主食(パン)に挟んで食べる…という小麦粉づくしの食物だ。「Food of the 小麦粉 by the小麦粉 for the 小麦粉」とでもいう勢いだ。勿論、これも好きではない。食べたことはないけど。

小麦粉を主体とした料理を嫌いなのか?というと、そんなことはなかった。お好み焼きも食べるし、純度100%の小麦粉料理であるうどんや冷麦はとても好きだ。ならば僕のグラタン嫌いと小麦粉には特に大きな関係もないのだろう…。面倒なのでその要因はこれ以上考えないのだけど。

 

昨夜のグラタンは美味しかった。厳密に言えば「好きではないが、娘が喜んで食べるのを見て一緒に食べていると美味しく感じた」というところだ。

ものには「それそのものの味」もあるが、環境によって左右される味わいもある。後者の影響で昨夜のホワイトソースはとても美味しく感じた。

一昨日、金曜日のこと。

この日は朝から随分と雨が降っていて、出掛けるのも相当億劫だったのだが、浜松まで出張した。仕事なので仕方ない。

ザーザー降りだった雨は昼過ぎにはピタリと止み晴れ間が出てきた。朝から暖かい…というよりも、雨による湿気もあって「ぬるい」日だったが昼過ぎには暑いくらいの気候となった。

この3月は寒く感じる日が多く、「3月になったのだからもう着るのはよそう」と決めていた脱フルコースも数回着るような寒さだった。

例年、春になってもダウンを着ている人を見かけるが、あれはなんだかみすぼらしく見えるし、まずダサい。それを他山の石として僕自身にダッフルコート禁止令を出したのだが、それを簡単に撤回して「ダサ族」に成り下がる有り様…。

…と言っても、前述の「ダウンダサ族」はユニクロのペラペラのカッコ悪いダウンを着ていることが多く、そのダウンも汚れているものが多い。垢にまみれた感じ。貧乏くさく見え、少なくともお洒落に見えることがない人たちの着こなしなのだから、「季節外れのダウン」がダサいのではなく、そもそも随分ダサい人が「春になっても汚れたダウンを着ている」という光景を僕がよく見るだけなのかも知れない。

さて、浜松では田圃に水が張られているのを見た。僕の住む沼津は田舎だがウチの近所には田圃を見かけないし、仕事中の移動で田圃の中の道を車で走ったりするが、まだ水を張られるような気配はない。

この日、気温が急に高くなったことも影響してか、いきなり春真っ盛りの世界に来たような気がした。

【旅の思い出】砂浜

先日の旅のことを書こう。

熱海の昭和レトロホテルを楽しんだ僕たち一行は翌日、伊豆半島一周のドライブに出掛けた。

主賓である末娘はドライブのうちの9割を眠っていたように思うから、車窓から見える伊豆半島の海やら山の様子はほぼ覚えていないはずだ。

2時間くらい車を走らせたらそこらで降りて、要所要所で歩いてみる…という本当に車に乗って移動するドライブ中心の2日目だったが、数日前に旅の思い出について末娘に聞いてみたところ「下田の白浜が良かった」とのこと。

家族で砂浜で遊んだのも何年ぶりだろうか。海には度々出掛けて、砂で遊んだり夏ならばボディボードなどを楽しんでいたことが、僕にはついこの間のことように思えるのだが、よくよく考えるとそれも直近のものでも、もう7〜8年も前のことだった。

15歳の末娘にとっては今現在の人生の半分くらい立ち戻った時の出来事なのだから、相当に昔の思い出であり、この春の白浜での時間も「すごく久しぶりの砂遊び」だったようだ。

小さな頃から砂遊びが好きな子だった。砂場で丸めて作った砂団子に乾いた砂をかけてきれいにすることを「サラコナ」と呼ぶことを幼い娘に教えてもらったことを思い出した。当時の彼女は2歳とか3歳のだったように思う。

12年以上経った今も白浜の砂で無邪気に遊ぶ娘を見るとなんだか温かな気持ちにもなった。大したイベントではなくとも、長く心に残る楽しい思い出というものは存在する。この砂遊びがそうなるかどうかは分からないが、こうした遊びを大切にしていきたいと思う旅だった。