「お盆」について思うこと

僕の実家は仏教信者だし、僕の信心とか関係なく、我が家の葬式は仏式で執り行われる。

僕自身はなにひとつブッダの教えを日々の生活に取り入れているようにも思わないのだけど、日本人の大半は「無神論者と言いながら仏教徒だから、葬式の時は仏式」という具合なのだろうと思う。


そんな似非仏教徒なのだけど、社会生活を送っていると「盆休み」というものにはしっかりと出くわす。

僕の実家は田舎の家ではあるし、御先祖様の仏壇もあるのだけど、僕の両親はお盆だからといって迎火やら送火を焚くこともなければ、特に仏教行事としてのお盆らしいことはしていなかった。

そんな家庭で育ったのだから、お盆に家の外で迎火を焚いていたり、精霊馬を作る材料を買い求めている人を見かけると「この人たちは信心深い人だ」と感心したりする。

これは何もそんな人たちを揶揄して言っているのではない。本当に立派なことだと思う。


故人を偲び、そんな先祖たちが現在の子孫たちが過ごす家に帰ってくる。ひとつの宗教儀式に過ぎないことなのかも知れないが、自分が今ここにいることのルーツやら先祖への感謝やら、あるいは憎まれごとを考えるにしてもとてもいい機会だと思う。

こうした風習に、実体験として経験などほとんどない僕であるが、お盆というものの考え方については大切にしていきたいように思っている。