この「夏旅」で、僕は大分を訪問した。
大分という場所を訪れるのは十数年ぶりのことである。
直近となる十数年前に大分に足を踏み入れたのも、この旅で大分を訪れたのも「同一の友人が大分にいたからこそ」なのだ。
十数年前、僕は東京で働いていた。
その仕事上の縁から知り合いになり、仲良くなり、その人物を好きになり、友達となり、以来仲良くさせていただいていた縁から、十数年前にも大分に出掛けた。本当に十数年前のことだけど、ついこの前のこのようにも感じられる。
そして、再び大分を訪問することとなるこの夏、その友との邂逅が叶った。色々な縁もあるので、他の土地で会うことは本当にたまにあったのだけど「その男のホームグラウンドである大分で一緒に酒を飲むこと」なんて、僕にとっては至福の喜びだった。
このブログでは前述しているのだけど、今回「大分に行くことになる理由」なんて、本当に訳のないものだった。簡単に言えば「ノリ一発」である。
そんな「悪ふざけに近いような、雰囲気とノリ」で大分を訪れた僕を旧友は過分な御馳走ではなくて饗してくれた。
前夜までの「ビンボー18切符旅行」と「節約地元美味いもの生活」を覆すような大分を代表するような御馳走!
鯖も鰺も、どこかで食べたことのあるような訳もない「関鯖と関鯵」だった。
この銘柄魚をについての感想は多く語らない。
「すごく美味しい。」の一言に留める。
魚の味について言い始めればキリがなく言葉は出て来るだろうし、僕が筆舌に尽くしてアピールなどしなくても関鯖と関鯵もその美味さは全国に知れ渡っている。
そして、この2つの御馳走は大分に住む友人が御膳立てしてくれた。そうした気遣いを含めると、味覚で感じ取れる味や歯ごたえなどを上回る感情的なものが加わるのだから、これは僕にしか分からない美味しさだ。
「長年の友達と出雲からの連絡で盛り上がり、その時のノリで翌日、鈍行列車で十数年ぶりとなる大分に向かって、数年ぶりに会う友人が僕を饗すために用意してくれた味」なのだ。
これと同じ味は、当事者の僕にだってもう二度と食べられそうにないし、言わんや「他人をや!」なのである。