続 シナチク作り

シナチク作りの続きを記す。

僕は「竹を発酵加工してラーメンとかに乗せて食べるもの」をシナチクと呼ぶ。そのほうがなんだか中華エキゾチックで美味しいもののように感じるからだ。

正しいのかどうか疑問に思うが、広義では「シナチクと称さずにメンマと言いましょう」という流れになっているようだ。

そんなことは馬鹿らしいので僕はシナチクと呼ぶ。
シナチクという呼び名を停止させるなら、地図にある九州の南の方の海を南シナ海と呼ぶこともおかしいし、そもそも「China」という国名もおかしい。

ものの呼び方には発祥の文化背景もあるだろうけど、その言葉を使う人それぞれの生活とか文化背景もあるのだから「その言葉が望ましくないよ」と誰かが言うのも自由だが、その言葉を使うのも人それぞれの自由だと思っている。

とある国には申し訳ないが、70年代〜80年代初頭のならず者文化を語る際に「トルコ」という言葉は不可欠だと思う。「トルコ」という呼び名でその時代の文化に溶け込んでいたものを後付で排除することは、その時代の文化に対する冒涜だと思っている。


さて、そんな訳で僕の「シナチク」作りは続いている。先日のブログでは茹でてアク抜きするところまで書いたのだけど、その日のうちに次の工程まで作業を進めていた。

後輩氏の実家で下拵えさせていただいた竹を自宅に持ち帰り、僕は「だいたいシナチクっぽいサイズ」に切り分けた。

こいつにたっぷりと塩をかけて桶に入れ、重石を乗せて乳酸発酵を促す。生野菜ではないので塩を掛けたところで多くの水は上がってこないので、幾分か水を足して更には塩も足して、竹が水に浸かった状態で乳酸発酵させるのである。

この作業は2週間くらい前に行ったので、既に乳酸発酵は進んでいるのだろうけど、僕は途中経過を見ていない。重石を乗せた樽をベランダの陽の当たらないところに安置して放っている。

こいつを出来たら3ヶ月間くらい放置しておいて、その後の天日干ししてカラカラに乾かせたい。しかし、3ヶ月間も経つと天日干しには陽の光の力も弱まってくるだろうから、多分8月には干し始めるのだろうと思っている。

2ヶ月くらい傷まずに平気で発酵を続けるくらいの塩の量は把握しているつもりだ。これは数々の賞漬物作りで培った「塩加減の勘」だと思っている。

竹を採りに行ってから3ヶ月、食べるまでのことを思うともっと長い期間を要すかも知れないシナチクだが、こうした工程が楽しく愛おしい。



そう言えば、僕が「竹採取→アク抜き→乳酸発酵」という一連の作業をとっくに終えていた先週の日曜日(久しぶりのライブでラッハを吹いた後)、テレビでシナチク作りを取り上げていたそうだ。

僕がシナチク作りに励んでいることを伝えていた人たち各方面から「今、テレビでシナチク作りやってるよ!」という連絡が届いた。

生憎、その時の僕は夕食とかその後の数日分の食材を買うためにスーパーにいたので、帰宅して途中からその番組を見た。言葉遣いにうるさいテレビというメディアでは「メンマ」と称していたが…。

だいたいの下拵えが終わってからしか見ていないのだけど、フルサイズで見た人に話を聞いたところ「僕の工程とだいたい同じことをやっていた」そうだ。

こうしたテレビで番組の紹介でシナチク作りが流行っても面白いと思う。ただ、僕は別に流行りに乗った訳でもなく、発酵食品への探究心と単なる手前の食い意地に突き動かされてシナチクを作っているのだ。